西ノ宮稲荷神社|足立区足立の神社

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西ノ宮稲荷神社|東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社を合祀

西ノ宮稲荷神社の概要

西ノ宮稲荷神社は、足立区足立にある稲荷神社です。西ノ宮稲荷神社の創建年代は不詳ですが、弥五郎新田村には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったといい、この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。

西ノ宮稲荷神社鳥居と
西ノ宮稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神、須佐之男命
境内社 浅間神社、三社殿(天神社、水神社、鹿島社)
相殿 9月15日
住所 足立区足立3-28-14
備考 弥五郎新田村社



西ノ宮稲荷神社の由緒

西ノ宮稲荷神社の創建年代は不詳ですが、弥五郎新田村には東之宮稲荷、本田之宮稲荷、西之宮稲荷、氷川社があったといい、この西之宮稲荷が当社に該当、明治時代初期には、東之宮稲荷、氷川社とともに本田之宮稲荷の境外社となっていたものの、本田之宮稲荷が荒川放水路河川敷として買収されたため、当社に本田之宮稲荷社を合祀、現在に至っているといいます。

東京都神社名鑑による西ノ宮稲荷神社の由緒

当社の由来は正親町天皇の御宇、天正二年(一五七四)春二月京都稲荷山に詣で、伏見稲荷の御分霊を奉遷し、当弥五郎新田「本田」の土地鎮護のための祠宇を創建したといわれている。元禄十年(一六九七)十二月検地御図帳とともに、当弥五郎新田地引絵図、宝永三年(一七〇七)三月修営。天明五年(一七八五)七月勧遷璽。文化七年(一八一一)十一月、正一位神階「公文所」。天保十三年(一八四二)六月再造営。嘉永二年(一八四九)、嘉永五年(一八五二)、安政四年(一八五八)とそれぞれ棟札、その他が残されているが、爾来、明治三年二月、東の宮(氷川神社)を合祀し、なお荒川放水路開さくにあたり弥五郎新田鎮守稲荷神社を、大正元年十一月合祀し奉り、よって御祭神は宇迦之御魂神・須佐之男命の二柱を奉斎する社で、西の宮森に鎮まっている。(東京都神社名鑑より)

「ブックレット足立風土記綾瀬地区」による西ノ宮稲荷神社の由緒

西之宮稲荷神社(足立3−28) 祭神は、宇迦之御魂命・須佐之男命です。江戸時代後期までには弥五郎新田に、東之宮、本田之宮、西之宮の3つの稲荷神社と1つの氷川神社があったといいます。西之宮は、明治時代初めの記録に、村の中心地である本田の稲荷神社(村社・本田之宮<氷川社も合祀>)の付属神社となっています(鴨下家文書)。その後、本田之宮敷地が荒川放水路河川敷として買収されたため、1912(大正元)年に西之宮に合祀され、以来弥五郎新田の総鎮守となりました。(「ブックレット足立風土記綾瀬地区」より)

西ノ宮稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 東京都神社名鑑
  • 「ブックレット足立風土記綾瀬地区」