千住本氷川神社|足立区千住の神社

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千住本氷川神社|千住七福神の大黒天

千住本氷川神社の概要

千住本氷川神社は、足立区千住にある氷川神社です。千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建、江戸時代初期、当地に牛田氷川神社の分社として建立しました。明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀しています。千住七福神の大黒天です。

千住本氷川神社
千住本氷川神社の概要
社号 千住本氷川神社
祭神 素盞嗚尊
相殿 -
境内社 久須志神社、三峯神社、三精稲荷神社、大黒天(旧社殿)
祭日 9月15日
住所 足立区千住3-22
備考 千住七福神の大黒天



千住本氷川神社の由緒

千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建、江戸時代初期、当地に牛田氷川神社の分社として建立しました。明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀しています。

足立風土記資料による千住本氷川神社の由緒

東京府管下武蔵国南足立郡千住町宿北組字西農道 村社 氷川神社
祭神 建速須佐之男命
(祭神 宇迦御魂命。右ハ本郡千住町大字千住3丁目無格社氷川神社境内社稲荷神社ト称セシガ、合祀許可) (祭神 建速須佐之男命。右ハ本郡千住町大字千住3丁目無格社氷川神社ト称セシガ今般許可) 由緒「不詳」。明治6年7月5日村社ニ被定候。
境内坪数、426坪。
境内神社三社。
久須師神社。祭神大己貴命、少彦名命、磐長姫命。由緒不詳。建物本社間口3尺、奥行8尺。
稲荷神社。祭神宇迦御魂命。由緒不詳。建物石宮1尺5寸四方。
三峯神社。祭神伊邪那美命。由緒不詳。建物本社間口3尺、奥行5尺。
氏子戸数、260戸。東京府管轄庁迄距離3里2町。(足立風土記資料神社明細明治10年項より)

東京都神社名鑑による千住本氷川神社の由緒

徳治二年(一三〇七)、千葉氏が千住三丁目牛田に、千葉山西光院院と氷川神社を創建、千住町が宿場町として栄えはじめた江戸初期、現在地に地主の土地奉納によって分社を建立した。明治四十三年荒川放水路構築のため、牛田氷川神社を合祀、境内は民有地であった。本殿は一坪弱ながら小鍛冶・鞍馬天狗の彫刻は見事である。(東京都神社名鑑より)

千住本氷川神社所蔵の文化財

  • 千住本氷川神社旧社殿(足立区登録文化財)

千住本氷川神社旧社殿

千住本氷川神社は、徳治2年(1307)に千葉氏によって、牛田に千葉山西光院と共に、氷川神社として創建されたという。
千住が宿場町として栄え始めた江戸時代の初期、現在地に地主の土地奉納によって分社が建てられた。その後、明治43年(1910)荒川放水路建設のため、牛田氷川神社を合祀し、さらに昭和45年に社殿を新築したため、旧社殿は末社として保存されている。
旧社殿向拝は、千鳥破風、その前面が唐破風となり、二重の破風を形成し、頭貫や虹梁の部分には、龍や鳥類の彫刻が目立っている。本殿は方一間余りの木造で、切妻造りの平入り形式をなし、屋根は箱棟こけらぶきで、勾配が美しい曲線を呈している。軒回りは二重橑となり、組物も巧緻で処々に彫刻が施され、趣きのある社殿である。(足立区教育委員会掲示より)

千住本氷川神社の周辺図