徳寿院|足立区栗原にある真言宗豊山派寺院

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無量山徳寿院|荒綾八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所

徳寿院の概要

真言宗豊山派寺院の徳寿院は、無量山と号し、もと西新井大師総持寺末、現長谷寺末です。平成21年1月より本堂・客殿改築工事を行っております(平成22年4月30日完成予定)。荒綾八十八ヶ所霊場16番、西新井組中川通四箇領八十八箇所2番札所です。

徳寿院
無量山徳寿院の概要
山号 無量山
院号 徳寿院
寺号 -
住所 足立区栗原4-1-15
本尊 阿弥陀如来
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 荒綾八十八ヶ所霊場16番札所



徳寿院の縁起

新編武蔵風土記稿による徳寿院の縁起

徳壽院
本寺前(西新井総持寺)に同じ、無量山と號す、中興開山榮祐享保七年十二月に十四日寂す、本尊弥陀を安す
天神社(新編武蔵風土記稿より)

足立区仏教会資料による徳寿院の縁起

徳寿院は、西新井大師総持寺の末寺に列なり、その創建は、鎌倉時代まで遡ることが出切るといわれている。すなわち、無量山と号し、阿弥陀如来を奉安して、密門の教風を仰ぎ、衆生の苦しみを抜済し、その至福を祈るも、徳川の世に至りて堂宇荒廃し、法灯まさに絶えなんとするとき、栄祐阿闍梨これを憐み、遠近の衆生とともに寺観を旧に復した。降って明治初年、また堂宇の修復がなされ、昭和35年に客殿、同37年に本堂の新たな建立がおこなわれた。しかるに栗原地区区画整理事業と百号線道路新設に伴い、昭和48年、本堂の移築を余儀なくされるも、もろもろの整備を布設し、寺運さらに進展せしめた。当山の主管は、代々西新井大師総持寺がこれを兼ねるを常とする。(足立区仏教会資料より)

足立風土記資料寺院明細による徳寿院の縁起

中本寺西新井大師総持寺門徒 東京府管轄武蔵国足立郡栗原村 無量山徳寿院
創立年暦并開山不詳、寺格無之。但当住無之、東京府管轄武蔵国栗原村満願寺住職真快兼務。
境内、1反4畝1歩、但除地。檀家、25軒。門末、無之。庵室等、無之  (足立風土記資料寺院明細より)

徳寿院の周辺図