南蔵院|足立区神明にある真言宗智山派寺院

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安養山南蔵院|荒綾八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所

南蔵院の概要

真言宗智山派寺院の南蔵院は、安養山瓔珞寺と号します。南蔵院は、安行村(現、埼玉県川口市)慈林寺宝厳院の隠居寺として、1619(元和5)年に空深上人により開山したといいます。荒綾八十八ヶ所霊場28番札所、西新井組中川通四箇領八十八箇所6番札所です。

南蔵院
南蔵院の概要
山号 安養山
院号 南蔵院
寺号 瓔珞寺
住所 足立区神明3-18-18
本尊 大日如来
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 荒綾八十八ヶ所霊場28番札所、神明天祖神社の旧別当



南蔵院の縁起

南蔵院は、安行慈林寺宝厳院の隠居寺として、1619(元和5)年に空深上人により開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による南蔵院の縁起

(久左衛門新田)南蔵院
新義真言宗、慈林村寳厳院末、安養山輿楽寺と號す、本尊大日を安ず、其傍に又恵心僧都の作なる薬師を置けり、開山を空深といふ(新編武蔵風土記稿より)

「ブックレット足立風土記花畑地区」による南蔵院の縁起

南蔵院(神明3丁目18)
真言宗智山派のお寺で、安養山瓔楽寺と号しています。安行村(現、埼玉県川口市)慈林寺宝厳院の隠居寺として、1619(元和5)年に空深上人により開山されたと伝えられています。
本尊は、行基の作と伝えられる大日如来像です。その右側に祀られている如意輪観世音菩薩像は、12年に1度午年のときにめぐる東京百観音巡りの第87番となっています。平常は秘仏として厨子に納められています。
墓地には、久左衛門新田を開発した星野彦六の墓と伝えられる1630(寛永7)年の墓碑があります。(「ブックレット足立風土記花畑地区」より)

足立区仏教会資料による南蔵院の縁起

慶長15年(1610)名主星野彦六の先祖星の又太郎は、福島正則の家臣で、本郡笹目邨より当地に来り開墾せし所を土合村(現在の神明町、辰沼町)と命名する。菩提寺として南蔵院を開創し、寛永7年(1630)逝去。二代目星野久左衛門の願いにより正保年間(1644)に久左衛門新田及び辰沼新田と改む。江戸より三里にあり、東西12町(1308米)南北20町(2180米)の持分であった。以来16代「彦六」を名乗り代々名主を務め徳川の末期まで続いた。又星野家三代彦六が氏神に天祖神社を奉斎せり。所有せし農地は広大にして、小溜井は元の綾瀬川であり、八代将軍吉宗の綾瀬川改修後は大名松平陸奥守の命により、名主彦六所有となり貯水用水として使用、浮塚側堤防幅6尺の道路までを彦六見廻り道と称されて、淵江領八ヶ村の水源となる(「足立区仏教会資料」より)

足立風土記資料寺院明細明による南蔵院の縁起

三宝院末埼玉県管轄武蔵国足立郡慈林村中本寺宝厳院末 東京府管轄武蔵国足立郡久左衛新田村 安養山 南蔵院
創立年歴并開基不詳、香衣一色着用寺格
第13世宝仙 壬申18歳。東京府管轄武蔵国豊島郡三河島村農高橋銀蔵二男、明治2年正月16日埼玉県管轄武蔵国足立郡慈林村於宝厳院得度、明治3年10月6日当院へ入寺、本山留学3ヶ年。以上僧壱人
1.境内 一反分、但除地
1.檀家 60軒
1.門末 無之
1.庵室等無之(足立風土記資料寺院明細明治5年項より)

南蔵院の周辺図