満光寺|荒川区東尾久にある浄土宗寺院

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二葉山満光寺|上野二葉村名主二葉和泉守開基

満光寺の概要

浄土宗寺院の満光寺は、二葉山尾久院と号します。室町時代に天台宗寺院として創建したと伝えられます。智天上人(慶長20年没)が開山、上野二葉村(坂本村・現台東区)名主二葉和泉守が開基となり、浄土宗寺院として再興、寛永寺造営に伴い当地に移転したといいます。

満光寺
満光寺の概要
山号 二葉山
院号 尾久院
寺号 満光寺
住所 荒川区東尾久3-2-4
宗派 浄土宗
葬儀・墓地 -
備考 -



満光寺の縁起

満光寺は、室町時代に天台宗寺院として創建したと伝えられます。智天上人(慶長20年没)が開山、上野二葉村(坂本村・現台東区)名主二葉和泉守が開基となり、浄土宗寺院として再興、寛永寺造営に伴い当地に移転したといいます。

新編武蔵風土記稿による満光寺の縁起

満光寺
浄土宗芝増上寺末。二葉山尾久院と号す。本尊三尊の阿弥陀坐像、長2尺、恵心僧都の作。
稲荷社。
閻魔堂。(新編武蔵風土記稿より)

上野二葉家と満光寺

満光寺は浄土宗の寺院で、双葉山尾久院と号する。もと、天台宗で室町時代の創建と伝える。浄土宗寺院としての開山は智天上人(慶長20年没)、開基は上野二葉村(坂本村・現台東区)名主二葉和泉守。上野不忍池の付近にあったものが、寛永寺の造営で、現在地に移転したという。
永和元年(1375)銘をはじめ、天文年間(1532~55)にいたる六基の板碑や、二基の庚申塔を有する。また紙本着色山越え阿弥陀図、元禄十年(1697)銘の木造智天上人坐像、満光寺文書などを所蔵。境内には二葉地蔵、二羽稲荷など、二葉家所縁のものが多い、木造閻魔坐像は二葉閻魔とも呼ばれ、頭部の内部に元禄16年未七月の銘がある。(荒川区教育委員会掲示より)

私立井上小学校跡(満光寺)

下尾久村で初めての小学校が、明治十五年(1882)、この地(当時の北豊島郡下尾久村九百二十七番地)に開校した。田辺勗が設立した「私立田辺小学校分校」である。明治十九年(1886)1月、廃校となるが、この年、山口県から上京した井上孫次郎氏によって、同年三月、「私立井上小学校」が新たに誕生した。井上氏は校主と教員と兼ね、下尾久村の教育の発展に尽力したという。明治三十二年(1899)までの存続が確認されているが、その後の経緯は不詳。この先の阿遮院に井上氏の墓がある。(荒川区教育委員会掲示より)

満光寺所蔵の文化財

  • 紙本着色仏涅槃図(荒川区登録文化財)
  • 木造智天上人坐像(荒川区登録文化財)
  • 木造閻魔坐像元禄16年7月銘(荒川区登録文化財)
  • 満光寺文書(荒川区登録文化財)
  • 板碑6基永和元年6月12日銘他(荒川区登録文化財)
  • 庚申塔2基承応3年2月8日銘他(荒川区登録文化財)

満光寺の周辺図