八劔神社|千葉市中央区南生実町の神社
八劔神社の概要
八劔神社は、千葉市にある神社です。八劔神社は、日本武尊東征の際、当地の争乱を平定して総の国を上総・下総に分割、国境を定めたことに感謝して創祀したといいます。もと小弓(生実)の総鎮守だったといい、村が南北に分割してからは南生実村の鎮守となり、明治年間に村社に列格したといいます。
社号 | 八劔神社 |
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祭神 | 日本武尊、大日孁尊命、大己貴命 |
相殿 | - |
末社 | 五祀社 |
祭日 | - |
住所 | 千葉市中央区南生実町880 |
備考 | 旧村社 |
八劔神社の由緒
八劔神社は、日本武尊東征の際、当地の争乱を平定して総の国を上総・下総に分割、国境を定めたことに感謝して創祀したといいます。もと小弓(生実)の総鎮守だったといい、村が南北に分割してからは南生実村の鎮守となり、明治年間に村社に列格したといいます。
「千葉県神社名鑑」による八劔神社の由緒
日本武尊が御東征の折、相模国三浦よりこの地に御渡海なされ、争乱を平定し、東国を二カ国に分割して南を上総、北を下総とし永く国境とせよと命じられた。人々は御徳恩に浴し深く敬ってこの神を国家守護神と仰ぎ、東国鎮護征夷神八劔神社とし、天神社を併せ祀って崇敬した。大正二年四月神饌幣帛料供進社に指定される。元小弓村の総鎮守だったが、南北に分村するにあたり南生実の鎮守となった。 (「千葉県神社名鑑」より)
「稿本千葉県誌」による八劔神社の由緒
同郡(千葉郡)生實濱野村大字南生實字本郷に在り、境内五百八十五坪、日本武尊・天照皇太神・大巳貴命を合祀す、創建年月詳ならず。もと生實町の総鎮守なりしが、南北分村の後、單に舊南生實村の氏神となれり。大正二年四月幣饌料供進指定。(「稿本千葉県誌」より)
八劔神社所蔵の文化財
- 八剱神社の神楽および神楽書(千葉市指定文化財)
八剱神社の神楽および神楽書
八剱神社は、社伝によれば日本武尊が東征のときこの国に起っていた国境の争いを平定し、改めて国境を定めたことに感謝して、土地の人々が東国鎮護の神として祭ったのが始めとされています。
本社に伝わる神楽は、享保元年(1716年)の社殿再建の際に上総一宮玉前神社の社人が巫女舞、湯笹舞、猿田彦舞等から構成される十二座神楽と呼ばれる舞を奉納したものを地元の人々によって受け継がれてきたものです。舞手が三方吹き抜けの神楽殿で、ひょっとこ、おかめ、狐面等を被って黙劇風に舞う、いわゆる江戸神楽の流れをくむ舞で、毎年7月27日の祭礼の日に地元の氏子により奉納されています。
また江戸時代後期の本社神主吉野重泰の記した「神楽書」「神前神楽祭事」等4冊神楽書も伝えられており、神楽とともに千葉市文化財に指定されています。(千葉市教育委員会掲示より)
八劔神社の周辺図