意富比神社(船橋大神宮)|船橋市宮本の神社

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意富比神社(船橋大神宮)|船橋市宮本の神社

意富比神社(船橋大神宮)の概要

意富比神社(船橋大神宮)は、船橋市宮本にある神社です。意富比神社(船橋大神宮)は、景行天皇四十年に日本武尊が東国御征討の途次、船橋に到着し天照皇大神を奉祀して創建したといいます。延喜式に「意富比神社」と記載される古社で、源義朝が院宣を受けて神社再興の折には船橋伊勢大神宮と記載されているといいます。天正19年には徳川家康から社領五十石の寄進を受けていた他、明治7年には県社に列格していたといいます。

意富比神社(船橋大神宮)
意富比神社(船橋大神宮)の概要
社号 天照皇大神
祭神 豊受姫神社、他二三社
相殿 -
境内社 -
住所 千葉県船橋市宮本5-2-1
祭日 10月20日
備考 旧県社



意富比神社(船橋大神宮)の由緒

意富比神社(船橋大神宮)は、景行天皇四十年に日本武尊が東国御征討の途次、船橋に到着し天照皇大神を奉祀して創建したといいます。延喜式に「意富比神社」と記載される古社で、源義朝が院宣を受けて神社再興の折には船橋伊勢大神宮と記載されているといいます。天正19年には徳川家康から社領五十石の寄進を受けていた他、明治7年には県社に列格していたといいます。

「稿本千葉県誌」による意富比神社(船橋大神宮)の由緒

(県社)意富比神社,東葛飾郡(舊東葛飾郡)船橋町大字船橋五日市字宮内に在り,境内四千八百十八坪,祭神は天照皇太神なり,相殿に萬幡豊秋津姫命,天手値から雄命を合祀す。社傳に云ふ,景行天皇四十一年四月日本武尊東征の時始めて之を船橋海神村に奉祀し以て戦捷を祈る,同五十三年夏見村に移す,貞観五年五月従五位上,同十六年従四位下を授けらる。延喜式載する所の葛飾郡二座の一なり,天喜三年源頼義・義家等祈る所あり社殿を造營す,仁平元年六月源義朝院宣を奉し船橋以下六郷の地を寄附す,後源頼朝之を葛西清重に輿へて神領を失ふ,應永六年四月千葉満胤再び船橋六郷の地を寄附す,天正十九年十一月徳川家康社領五十石を附し,諸役免除の朱印書を下すと。明治元年四月兵焚に罹り社殿消失し,同三年有志者再造を企て同四年に至り竣功す,同七年一月懸社に列せらる。本社は俗に神明宮或は太神宮と稱し毎年数回古雅の神事を執行す,明治の初め十月十九日・二十日を以て祭日と定む,古来近郷舊七村(船橋五日市場・同九日市場・同海神・東夏見・西夏見・米崎・七熊)の鎮守たり,攝社三座・末社三十七座あり,又境内に燈明臺あり,高さ八丈,燈光海面六浬に達すと云ふ。明治三十九年十二月幣帛料供進指定(「稿本千葉県誌」より)

千葉県神社名鑑による意富比神社(船橋大神宮)の由緒

景行天皇四十年に、皇子日本武尊が東国御征討の途次、船橋湊郷に御到着、天照皇大神を祈誓、奉祀されたことを以て創建とする。後に景行天皇がその御事蹟を追慕され「意富比神社」の称号を賜わった。
仁平年間、源義朝が院宣を受けて神社再興の折「船橋伊勢大神宮」とも記載される。
鎌倉時代、日蓮上人が断食祈願をする。徳川幕府は家康公以来代々五〇石の禄を献ずる。現社殿は明治初期より中頃にかけて修造され、大正一二年以後昭和に入り本殿、末社参道、玉垣等の改修を数度重ねて今日に至る。(千葉県神社名鑑より)


意富比神社(船橋大神宮)所蔵の文化財

  • 船橋大神宮の神楽(船橋市指定文化財)
  • 灯明台(千葉県指定文化財)

船橋大神宮の神楽

平安時代の史書「三代実録」には「下総国意富比神」の名が見え、「延喜式」には「意富比神社」の名がある。この意富比神は船橋大神宮(意富比神社)の前身である。
神楽は正月、節分、10月20日の例祭、12月の二の酉に、境内の神楽殿で演じられ、4月3日の水神祭には船橋漁港でも行なわれる。伝えているのは船橋大神宮楽部の人達で、古くからの習わしにより、谷津の人も参加している。
現在伝えられている演目は次の10座である。
1みこ舞2猿田舞3翁舞4知乃里舞5天孤舞6田の神舞7蛭子舞(恵比寿舞)8恵比寿大黒舞9笹舞10山神舞
このうち恵比寿大黒舞は節分祭でのみ演じられる。
使用する楽器は舞楽に用いる楽太鼓と、大拍子(締太鼓)、笛 各1である。神楽の由来はよくわからないが、曲目の構成からみて、12曲を基準とする「十二座神楽」の系統であると考えられる。(船橋市教育委員会掲示より)

灯明台

かつて、船橋沿岸を航行する船は、意富比神社(船橋大神宮)の境内にあった常夜灯を目印にしていました。
この常夜灯は慶應4(1868)年の戊辰戦争で社殿とともに焼失しました。明治13(1880)年に現在の灯明台が再建され、明治28(1895)年に停止するまでの間、政府公認の私設灯台として利用されました。
標高27mの丘の上にあり、浅間神社のあった場所に建てられたので、「浅間山灯明台」といいました。
建築様式は和洋折衷の「擬洋風建築」で、1階・2階は和風、3階の灯室が西洋式灯台の意匠を取り入れた六角形のつくりになっています。
光源は石油ランプ3基に錫製の反射鏡3基を組み合わせ、光の到達距離は約6海里(約11km)あり、その当時の最新式の設備でした。(船橋市教育委員会掲示より)


意富比神社(船橋大神宮)の周辺図


参考資料

  • 「船橋市史」
  • 千葉県神社名鑑