日枝神社日本橋摂社|中央区日本橋茅場町の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

日枝神社日本橋摂社|山王日枝神社の摂社

日枝神社日本橋摂社の概要

日枝神社日本橋摂社は、中央区日本橋茅場町にある神社で、山王日枝神社の摂社です。日枝神社日本橋摂社は、寛永年間(1624-1645)に当地を山王日枝神社の御旅所と定められ遥拝所が設けられたといいます。

日枝神社日本橋摂社
日枝神社日本橋摂社の概要
社号 日枝神社日本橋摂社
祭神 日枝咋神
相殿 浅間大神、菅原大神、稲荷大神
境内社 -
祭日 例祭隔年6月13日
住所 中央区日本橋茅場町1-6-16
備考 -



日枝神社日本橋摂社の由緒

日枝神社日本橋摂社は、寛永年間(1624-1645)に当地を山王日枝神社の御旅所と定められ遥拝所が設けられたといいます。山王日枝神社の摂社です。

境内掲示による日枝神社日本橋摂社の由緒

摂社日枝神社は天正十八年(一五九〇)徳川家康公が江戸城に入城、日枝大神を崇敬されて以来、御旅所の存する「八丁堀北嶋(鎧島)祓所」まで神輿が船で神幸された事に始まります。
寛政十二年(一八〇〇)の江戸名所図会巻二では、神主樹下氏持ちの山王宮と別当観理院持ちの山王権現の遥拝の社が並び建ち、隔年六月十五日の山王祭の際は、この二社の手前に仮殿が設けられ、永田馬場の本社からの神輿三基を中心とする供奉行列の神幸があり、実に大江戸第一の大祀にして壮観であったと伝えられています。
明治元年神仏分離令により薬師堂と同別当智泉院の敷地は境内から分離されました。明治十年に山王宮は無格社日枝神社に、大正四年には本社の官幣大社昇格に伴い摂社日枝神社と改称されました。現在の社殿は大正十二年九月の関東大震災後、昭和三年に造営され、境内末社(北野神社・稲荷神社・浅間神社)が合祀されました。昭和二十年三月の東京大空襲により罹災しましたが、直ちに補修を行い、昭和四十一年に御屋根葺替と大修理を加えました。平成二十二年には再び、老朽化した社殿に外装工事を施し今日に至ります。なお正面の石鳥居は、万治年間に本社石階段下に設けられましたが、昭和三十六年に現在地に移設されました。(境内掲示より)

「日本橋區史」による日枝神社日本橋摂社の由緒

官幣大社日枝神社末社
南茅場町三十三番地にあり。薬師堂と相隣す。舊時は永田馬場山王御旅所と稱し、隔年六月十五日、所謂天下祭の際に、本社より神輿の臨御ありて實に一時の壮觀たりき。而して舊時薬師堂境内に遥拝の社二宇あり。寛永中御旅所となるといふ。明治二年神佛混淆分離の令によりて、山王權現の日枝神社となるに及び、其の末社となる。舊時の祭靈は後に詳記したり。(「日本橋區史」より)

東京名所図会による日枝神社日本橋摂社の由緒

日枝神社御旅所
日枝神社御旅所は、南茅場町三十三番地に在り、薬師堂に隣す。隔年六月十五日、麹町永田町の本社より、神輿三基、神幸あるなり、其の由来は、江戸名所圖會記する所詳細なれば、左に之を掲げむとす。
永田馬場山王御旅所、茅場町にあり、遥拝の社二宇並ひ建り、寛永年間此地を御旅所に定めらるるといへり。(一宇は神主樹下氏持なり、一宇は別當観理院持なり。)隔年六月十五日御祭禮にて、永田馬場の御本社より神輿三基此所に神幸あり、假に神殿を儲け、供御を献備し、別當は法楽を捧げ、神主は奉幣の式を行ひ、夜に入て歸輿なり。其行装、榊、大幣、菅蓋、錦蓋、雲の如く、社司社僧は騎馬に跨り、或は輿に乗し、前後に扈従す、諸侯よりは神馬長柄鎗等を出されて、途中の供奉厳重なり、又氏子の町よりは、思ひ思ひに練物あるひは花屋臺、車楽等に、錦爛純子抔のまん幕を打はへ、各其出立花やかに、羅綾の袂、錦織の裔をひるかへし、粧ひ巍々堂々として善美を盡せり、此日官府の御沙汰として、神輿通行の御道筋は、横の小路々々には矢来を結はしめて、往来を禁せらる、實に大江戸第一の大祀にして、一時の壮観たり。」
同書に、境内の圖及神輿神幸の圖を載せたり、縮寫して掲出したれば、就て見るべし。
日枝神社の由来及祭典の景況等は、第九編に詳述したれば、再びここに載せず。神幸の日は、氏子の町々、花車、屋臺に、楽を奏して練り出る、行装の善美を盡せる壮観、東京府下第一の祭典なり。
遥拝の社二宇並び建ていrと、江戸名所圖會にいへど、そは兩部の頃とて、かくありしならむ、今は一宇なり。又近年漸く破損したるを以て、不日改築する所あらむといへり。
末社。
天満宮。
天満宮は、本社の後、数十歩の地に祠あり。菅原道真を祀れり。江戸砂子云、菅神親筆の聖像と云、社家諸井帯刀所持。」江戸名所圖會云、神像は書幅にして、寛永年間、柳營に奉仕の春日局、大樹より拝受せられしを、山王の神主日吉左京進へ附與あり、其後諸井氏請得て、ここに勧請なし奉るとなり。」毎月二十五日祭典を營む。
翁稲荷社と桂馬稲荷社
二社合殿にして、天満宮に接して祠あり。
浅間神社。
本社の右側に在り、鳥居に三國第一座と題せる額面あり。丘上に小祠を安置す。文政年間、岩石を堆積して築く所。東都歳時記に、茅場町天満宮境内とある是なり。毎月六月一日、諸人の参詣あり。
神楽殿。
本社の後、桂馬稲荷社の側にあり。
境内に草津亭及彌生軒と稱する料理店あり。又、宮松亭とよべる義太夫、講談席あり、府内第一の席亭たり。其他大弓場、待合茶屋もあるなり。(東京名所図会より)


日枝神社日本橋摂社の周辺図