宝田恵比寿神社|中央区日本橋本町の神社

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宝田恵比寿神社|べったら市、日本橋七福神の恵比寿神

宝田恵比寿神社の概要

宝田恵比寿神社は、中央区日本橋本町にある神社です。宝田恵比寿神社の創建年代は不詳ですが、徳川家康江戸入府以前は宝田村の鎮守社だったといい、江戸城拡張により村の移転を命ぜられ、現大伝馬町へ遷座、当地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と重要な役割を担い大変賑わったといいます。また御神体の恵比寿神は、運慶作と伝えられ、徳川家康から下賜されたもだといい、日本橋七福神の恵比寿神となっています。尚、東京の風物詩である当社恒例のべったら市は、商売繁盛を願う商家にとって欠かせない行事となっています。

宝田恵比寿神社
宝田恵比寿神社の概要
社号 宝田恵比寿神社
祭神 事代主命、少彦名命、大国主神、大己貴命、素盞嗚命
相殿 -
境内社 -
住所 中央区日本橋本町3-10-11
備考 神田神社の兼務社、べったら市、宝田村の鎮守



宝田恵比寿神社の由緒

宝田恵比寿神社の創建年代は不詳ですが、徳川家康江戸入府以前は宝田村の鎮守社だったといいます。江戸城拡張により村の移転を命ぜられ、現大伝馬町へ遷座、当地は金銀為替、駅伝、水陸運輸と重要な役割を担い大変賑わったといいます。また御神体の恵比寿神は、運慶作と伝えられ、徳川家康から下賜されたもだといいます。

境内掲示による宝田恵比寿神社の由緒

宝田神社は慶長11年の昔360余年前江戸城外宝田村の鎮守様でありました。徳川家康公が江戸城拡張により宝田、祝田、千代田の三ヶ村の転居を命ぜられ(現在宮城内槻山附近)ましたので、馬込勘解由と云う人が宝田村の鎮守様を奉安申し上げ、住民を引率してこの地に集団移動したのであります。馬込勘解由と云う人は、家康公が入府の時、三河国から随行して此の大業を成し遂げられた功に依り、徳川家康繁栄御祈念の恵比寿様を授け賜ったので平穏守護の御神体として宝田神社に御安置申し上げたのが今日に至ったのであります。作者は鎌倉時代の名匠運慶の作と伝えられます。
其の後村民の生活は金銀為替、駅伝、水陸運輸、それぞれ重要な役を賜り、馬込勘解由は名主となって三伝馬取締役に出世し御役名に因んで大伝馬町の町名を賜って、伊勢・駿河・遠江・美濃・尾張、家康公ゆかりの国々より商人を集めて、あらゆる物資の集散地として大江戸開発と商売発祥の地として大変賑わったのであります。現在も周辺の老舗大小商社が軒を並べて今尚盛んな取引が続いて居ります。宝田恵比寿神は商売繁盛、家族繁栄の守護神として崇敬者は広く関東一円に及び毎年10月19日「べったら市」、20日の恵比寿神祭が両日に亘り盛大に執り行われます。べったら市は「年またあらたまる」今年も年末が近づき、お正月を迎える心構えをする商家にとって大切な年中行事として旧家は今日でも恵比寿講をお祝いするのであります。

日本橋七福神めぐりガイドによる宝田恵比寿神社の由緒

宝田村の鎮守は、元々は皇居前にあった。祭壇の中央に安置される恵比寿神像は、慶長11年三伝馬取締役・馬込勘解由が徳川家康からこれを受け、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられる。1月20日初恵比寿、10月19日・20日には商売繁盛を祈る恵比寿講が開かれている。(日本橋七福神めぐりガイドより)

「中央区史」による宝田恵比寿神社の由緒

宝田稲荷神社(日本橋本町三の一〇)旧大伝馬町一の三十に鎮座し、宇迦之御魂神・素盞鳴命・大国主命・事代主命・大穴持命・少彦名命等六柱を奉祀する。創建の年代は明かでないが、慶長年間江戸城改築の際豊島郡宝田村から当所の地に移転したものといわれる。大伝馬町は江戸開府以来の木綿問屋の町で、正月二十日と十月二十日には繁栄を祈って盛大に夷講を行った。近来はほとんど十月に改ってしまったが、十九日の晩には、宝田稲荷を中心に二十日の夷講に用いる諸道具や、大根の浅漬を商ういわゆるベッタラ市が立って、歳の市の先駆として商家の重要な年中行事となっている。宝田稲荷は明治六年一月十六日神田神社の兼務となり、大正十二年大地震の災厄に罹ったが本殿のみは炎上を免れ、のち昭和初年に拝殿を再建し今日におよんだ。崇敬者数六百八十人、十月十九日の例祭のほか、一月十日恵比寿祭・二月の初午祭などを執行する。本殿二坪二合五勺、拝殿七坪七合五勺。(「中央区史」より)

東京都神社名鑑による宝田恵比寿神社の由緒

べったら市、江戸風物詩として有名である。慶長年間(一五九六-一六一五)に江戸城拡張のさい、城内にあった豊島郡宝田村が現在の大伝馬町に換地になったとき、現在地に移り大伝馬町の守護神として祀られた。御神体は鎌倉時代の名匠運慶作「恵比寿像」で、家康公が大江戸繁昌を祈念して寄進したと伝えられる。その後、商売繁昌の守護神として多くの人びとの崇敬を集めている。明治六年一月十六日、神田神社兼務社となる。大正十二年九月一日の関東大震災に本殿を除き、ことごとく焼失した。のち昭和初年のころ、拝殿を再建し現在に至る。(東京都神社名鑑より)


宝田恵比寿神社の周辺図