平井諏訪神社|江戸川区平井の神社

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平井諏訪神社|燈明寺の惠祐法印が出身地の諏訪大社を勧請、下平井村鎮守

平井諏訪神社の概要

井諏訪神社は、江戸川区平井にある諏訪神社です。平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

平井諏訪神社
平井諏訪神社の概要
社号 諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 天照皇大神、経津主神、誉田別神、大国主神、武甕槌神
境内社 稲荷神社、浅間神社、水神社
住所 江戸川区平井6-17-36
備考 下平井村鎮守



平井諏訪神社の由緒

平井諏訪神社は、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請して享保年間(1716-1735)創建、下平井村の鎮守社だったといいます。明治5年村社に列格、昭和8年四所神社・稲荷神社を合祀したといいます。

江戸川区教育委員会掲示による平井諏訪神社の由緒

祭神は建御名方命で、享保年間(1716-1735)、燈明寺の惠祐法印が、出身地である信州の諏訪大社から神霊を勧請したのがはじまりと伝えられます。
境内中央の社殿は、昭和四十二年に命じ百年を記念して建てられ(四十四年完成)、その旧社殿が境内北隅に移築されています。(江戸川区教育委員会掲示より)

「江戸川区史」による平井諏訪神社の由緒

諏訪神社(平井六丁目一七番三六号)
祭神は建御名方命で信濃国一ノ宮諏訪大社の分社である。創建年月は明かでないが享保年間に燈明寺の恵祐法印が生国である信州の諏訪大明神の神霊を当所に祀ったのが始めであるという。その後天保十四年十一月本殿を改築したが、この建物にはすぐれた彫刻があり現在は境内の北隅にある稲荷神社の社殿になっている。明治五年村社に列し、下平井村の四所神社(春日明神)を合祀した。壮麗な今の社殿は昭和四十四年八月に落成した。境内に富士塚があり、乃木希典揮毫の明治三十七八年戦役記念碑がある。(「江戸川区史」より)

東京都神社名鑑による平井諏訪神社の由緒

創立年月は不詳であるが、下平井村(現在の平井二・三・四・五・六丁目)の鎮守社として奉斎され、御本殿(現在の稲荷社)は天保十五年(一八四四)十一月再建されたものである。明治当初まで、隣接の平井聖天が別当を相勤めた。明治三十九年拝殿を新設し、昭和十一年境内全般低湿のため、氏子の浄財をもって境内を土盛、社殿の改修をなした。昭和八年、四所神社・稲荷神社を当社へ合祀した。(東京都神社名鑑より)

新編武蔵風土記稿による平井諏訪神社の由緒

諏訪社。
村内の鎮守にて古社なりといへど、来由詳ならず。今は全く聖天の末社の如くなれり。(新編武蔵風土記稿より)

平井諏訪神社所蔵の文化財

  • 諏訪神社旧本殿(江戸川区登録有形文化財)
  • 平井の富士塚 附板絵着色富士講奉納図額(江戸川区登録有形文化財)

諏訪神社旧本殿

天保十四年(1843)の再建で、外壁彫刻が江戸後期の神社建築の過渡的な特色をよく伝えています。(江戸川区教育委員会掲示より)

平井の富士塚

大正九年頃、旧下平井村の丸富講の人びとによって造られました。境内の絵馬堂には、丸富講が大正二年に奉納した図額もあります。(江戸川区教育委員会掲示より)

平井諏訪神社の周辺図