長勝寺|江戸川区一之江にある日蓮宗寺院

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利栄山長勝寺|妙覚寺と感応寺の中間にある中寺

長勝寺の概要

日蓮宗寺院の長勝寺は、利栄山善学院と号します。長勝寺は、妙覚寺第9世日住上人の弟子善学院日信上人(寛永2年1625年寂)が開山となり、天正11年(1583)創建したといいます。妙覚寺感応寺の中間にあることから中寺と呼ばれていたといいます。

長勝寺
長勝寺の概要
山号 利栄山
院号 善学院
寺号 長勝寺
住所 江戸川区一之江6-19-15
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



長勝寺の縁起

長勝寺は、妙覚寺第9世日住上人の弟子善学院日信上人(寛永2年1625年寂)が開山となり、天正11年(1583)創建したといいます。

「江戸川区史」による長勝寺の縁起

長勝寺(一之江四丁目一一番地二号)
日蓮宗で利栄山善学院といって中山法華経寺の末であった。通称「中寺」と呼ばれている。始めは妙覚寺の塔頭で、天正十一年(一五八三)善学院日信上人が起立した。日信上人は妙覚寺第九世日住上人の弟子で、寛永二年十二月十一日入寂した。昔法華堂と呼ばれた頃は本山の宿泊所とされていた。その後元禄の頃から鬼子母神信仰が盛んになるにつれて祈祷所として隆盛になり多くの参詣者があった。明治三十四年以降渡辺日運上人が中興して本堂、庫裡を造営し、更に先代田村日澍上人によって今日の伽藍が完成された。
本尊に一尊四士と鬼子母神をまつり、境内の「浄行菩薩」は皮ふ病などにご利益があるというので、亀の子タワシで仏像を洗って祈願するものが現在も訪ずれている。なお境内から板碑が多数発見されている。(「江戸川区史」より)

新編武蔵風土記稿による長勝寺の縁起

長勝寺
同末(法華宗、下総中山法華経寺末)、利栄山善学院と号す。天正13年起立。開山善学院日信、寛永2年11月11日寂す。本尊釈迦を安す。当寺古は妙覚寺の塔頭なりしが、何の頃よりか今の末となれり。
三十番神社(新編武蔵風土記稿より)

「江戸川区の文化財」による長勝寺の縁起

日蓮宗で利栄山善学院といって中山法華経寺の末であった。この寺は日蓮宗である妙覚寺感応寺の中間にあるので通称「中寺」と呼ばれている。
天正11年(1583)善学院日信上人が起立した。日信上人は妙覚寺第9世日住上人の弟子で寛永2年(1625)12月11日入寂した。
本尊には一尊四士と鬼子母神をまつり、境内には「浄行菩薩」の像がある。(「江戸川区の文化財」より)

長勝寺の周辺図