石暦山妙勝寺|鎌倉時代末期浅草石浜村に開創
妙勝寺の概要
日蓮宗寺院の妙勝寺は石暦山と号します。妙勝寺は、寂海法印本覚坊日寂上人により弘安2年(1279)浅草石浜村に開創、元享2年(1322)当地に移転、かつては中山法華経寺や池上本門寺の貫主を輩出したといいます。
山号 | 石歴山 |
---|---|
院号 | - |
寺号 | 妙勝寺 |
住所 | 江戸川区上篠崎1-23-14 |
本尊 | 三寶祖師像 |
宗派 | 日蓮宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙勝寺の縁起
妙勝寺は、寂海法印本覚坊日寂上人により弘安2年(1279)浅草石浜村に開創、元享2年(1322)当地に移転、かつては中山法華経寺や池上本門寺の貫主を輩出したといいます。
「新編武蔵風土記稿」による妙勝寺の縁起
(二之江村附持添新田)妙勝寺
法華宗、下総国中山法華経寺末、石暦山と号す。本尊三寶祖師を置。文禄3年の起立。
三十番神社、鬼子母神社。
寺中、修心坊。(新編武蔵風土記稿より)
「江戸川区の文化財」による妙勝寺の縁起
寂海法印本覚坊日寂上人(弘安9年=1286=11月1日示寂)により弘安2年(1279)開創しました。
日寂上人は、もと天台宗の僧で浅草観音金龍山浅草寺の住職でした。安養寂海法印と称され、北方の能化と呼ばれた学徳兼備の高僧でした。弘安羊中(1278)中山法華経寺の日常上人・日祐上人と法議を論じ、日蓮聖人と面談して、日蓮宗に改宗、浅草寺を退隠して浅草石濱村に妙勝寺を創建しました。後第2世日正上人の代、元享2年(1322)当篠崎の地に移りました。
「江戸川区史」による妙勝寺の縁起
妙勝寺(北篠崎町一丁目一六二番地)
日蓮宗で石歴山と号し、弘安年間(一二七八-一二八七)日寂上人によって浅草の石浜に創建されたのが始まりである。日寂上人はもと寂海法印といって天台宗の僧で、浅草浅草寺の別当職を務め学徳すぐれて北方の能化と称せられていた。法華経寺三世日祐上人と法論の後浅草寺を退いて日蓮宗に改宗し、浅草に二カ寺を開いたが、一ヵ寺を篠崎の地に移して法華堂妙勝寺と称した。開山日寂上人は弘安九年十一月一日入寂した。
享保年間十七世日応上人が本堂を建立したが安政二年の地震で大破し、またその後火災で諸記録などは焼失した。当寺はかつては中山法華経寺の客末として、歴代の中には中山や池上の貫主となった者もあり、現在は池上法類に属している。
本尊には十界曼陀羅をまつり、日蓮聖人像は中山三世日高上人の作と伝えられる。寺院はもと五〇〇メートル位東方の川畔にあったが大正四年江戸川の改修により現在地に移転した。門前に沢地先生の碑がある。(「江戸川区史」より)
妙勝寺の周辺図