菅原神社|板橋区成増の神社

猫の足あとによる東京都寺社案内

菅原神社|成増村鎮守、里神楽の舞

菅原神社の概要

菅原神社は、板橋区成増にある神社です。菅原神社の創建年代は不詳ながら、延宝7(1679)年銘の手水鉢には「大自在天神」とあり、江戸末期には「山王社」と号して成増村の鎮守社だったといいます。明治2年には天神社と改称、明治7年菅原神社として村社に列格していました。当社に奉納される里神楽の舞は、板橋区無形民俗文化財に指定されています。

菅原神社
菅原神社の概要
社号 菅原神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 稲荷社、日枝社、愛宕社
住所 板橋区成増5-3-23
備考 旧成増村鎮守、村社



菅原神社の由緒

菅原神社の創建年代は不詳ながら、延宝7(1679)年銘の手水鉢には「大自在天神」とあり、江戸末期には「山王社」と号して成増村の鎮守社だったといいます。明治2年には天神社と改称、明治7年菅原神社として村社に列格していました。

新編武蔵風土記稿による菅原神社の由緒

(成増村)
山王社
青蓮寺持(新編武蔵風土記稿より)

板橋区教育委員会掲示による菅原神社の由緒

当社の御祭神はその名のとおり菅原道真公を奉祀する。 創建年代は不詳であるが、旧成増村の鎮守にして、明治7年4月に旧社格「村社」が与えられた。江戸時代には青蓮寺が別当となっていた。 幕府編纂の地誌新編武蔵風土記稿には「山王社」、境内にある延宝7(1679)年銘の区内最古の手水鉢には「自在天神」、さらに明治2年の「社寺取調下案」に「天神社」とある。このことから当社は、社号がしばしば変更されていたようである。 本殿は明治17年8月に氏子の寄付金によって再建され、大正年間には拝殿が新築されている。(板橋区教育委員会掲示より)

「いたばしの神社」による菅原神社の由緒

御祭神は菅原道真公です。
創建の年代は不詳ですが、境内には赤松村の春日伊兵衛から寄進された延宝七年(一六年九)銘の手水鉢があり、江戸時代前期には人々の信仰を集めていた様子を知ることができます。
その手水鉢には「大自在天神」と彫られており、明治二年(一八六九)に書かれた社寺取調書上案には「天神社」と記されているなど、社号が時代によって変化したことをうかがわせます。
平成二十二年度に区登録文化財となった田中泰彦家文書には、成増村の領主だった旗本大屋氏が、天明五年(一七八五)に、当社の祭神である菅原道真の掛け軸を安置する霧箱を奉納したことを示す史料があります。また、その掛け軸と霧箱も現存しています。
当社は、成増村の鎮守として地域の人々から信仰されていただけではなく、領主からも崇敬されていたことを物語っています。
また、当社の例祭では、昭和五十八年度に区指定無形民俗文化財となった里神楽の舞が、同年にその保持団体に指定された成増里神楽保存会によって奉納されています。(「いたばしの神社」より)

東京都神社名鑑による菅原神社の由緒

不詳。明治十七年八月氏子寄付金をもって本殿を再建し、現幣殿・拝殿も氏子寄付金をもって大正六年落成した。(東京都神社名鑑より)


菅原神社所蔵の文化財

  • 成増里神楽用具(板橋区有形民俗文化財)
  • 菅原神社里神楽の舞(板橋区指定無形民俗文化財)

成増里神楽用具

成増里神楽は、菅原神社を拠点として活動しています。その歴史は、江戸期から当地域の神楽を務めていた新座市野火止を本拠とする神楽師石山家の奉舞に際して、成増地域の囃子連が囃子方や舞方を頼まれるようになり、しだいに自身でも神楽を演じるようになったことに始まります。
昭和四十四年(一九六九)に神楽愛好会が結成され、これが同五十年に保存会(初代会長坂本由五郎)へと発展し、現在に至っています。昭和五十八年度には、板橋区指定無形民俗文化財(民俗芸能)里神楽の保存団体に指定されています。
保存会が使用する道具の来歴は様々ですが、神楽面・冠り物・衣装・採物・鳴り物など一五二件を数えます。これらの資料は、無形文化財の保護・継承に必要不可欠なものであり、芸能自体の由来や歴史的経緯などを考察するうえで重要な資料であるということから、平成十九年度に有形民俗文化財となりました。(板橋区教育委員会掲示より)

菅原神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「いたばしの神社」
  • 東京都神社名鑑