福壽院。昭和51年宗教法人として創建
福壽院の概要
曹洞宗寺院の福壽院は、大慈悲山と号します。福壽院は、かつて地蔵堂があり観音沢・観音坂とも呼ばれた当地に、昭和51年宗教法人として創建したといいます。
箱根観音・箱根湯本・曹洞宗・福寿院・馬祖・消災燈
山号 | 大慈悲山 |
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院号 | 福壽院 |
寺号 | - |
住所 | 足柄下郡箱根町湯本茶屋182-5 |
宗派 | 曹洞宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
福壽院の縁起
福壽院は、かつて地蔵堂があり観音沢・観音坂とも呼ばれた当地に、昭和51年宗教法人として創建したといいます。
境内掲示による福壽院の縁起
大慈悲山箱根観音 福壽院
観音澤地名の由来と観音霊泉
古老の口伝に「徳川の初期観音霊泉を発見し聖観世音を安置奉安して一生を終る。世に観音沢の上人と敬慕せらる」と以来今日まで多くの旅行者がこの観音霊泉にて病気を癒し、身魂を洗い清むる箱根唯一の名湯「長命美人の湯」と喧伝されている。
箱根観音秘佛の由来と福壽院
此由緒ある観音沢上人の聖地こそ、自分自らの五十年来悲願の観音聖堂御建立の地、護法終焉の地と決意し三国伝来の秘佛中国名僧葛曇成師が中国の武定二年九月(西暦五四四年今より一四五九年前)一刀禮三鏤刻せし箱根観音(開運出生慈母観世音菩薩)の御奉安を誓願致し、昭和五十一年十月茲に宗教法人大悲願山福壽院を正式開山草創せり。
その本堂施無畏殿にて日夜報恩の勤行を修し、御開山(御師匠)、御開基(御両親)とそして天領関所箱根路に於ける観音澤に無辜に消えた。無縁の諸精霊を虔んで御供養申し上げ、日々光明の円満生活成就と熱祷することが福壽院建立開創の本旨である。
昭和五十三年十月吉日
大慈悲山箱根観音福壽院(境内掲示より)
新編相模国風土記稿による観音沢・字古堂について
(湯本茶屋)観音坂
海道の西方に在、登り二町許、此邊を字古堂と唱ふ、古観音ありし故の名と云、板橋村の傳には、村内地蔵堂、昔當所にあり、故に古堂の名ありと云(新編相模国風土記稿より)
福壽院の周辺図