来迎院。大山の茶湯寺、雨降山大山寺住僧や八大坊の菩提寺
来迎院の概要
真言宗大覚寺派寺院の来迎院は、寳珠山と号します。来迎院は、義範(寛治2年1088年卒)が開山となり創建、弘誉(寛永9年1632年卒)が中興したといい、雨降山大山寺住僧や八大坊の菩提寺であったといいます。かつて近隣では葬儀百日目に、当寺で茶湯を授かる習慣があったことから大山の茶湯寺と称されていたといいます。
山号 | 寳珠山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | - |
本尊 | 阿弥陀如来像 |
住所 | 伊勢原市大山744 |
宗派 | 真言宗大覚寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 大山の茶湯寺 |
来迎院の縁起
来迎院は、義範(寛治2年1088年卒)が開山となり創建、弘誉(寛永9年1632年卒)が中興したといい、雨降山大山寺住僧や八大坊の菩提寺であったといいます。かつて近隣では葬儀百日目に、当寺で茶湯を授かる習慣があったことから大山の茶湯寺と称されていたといいます。
新編相模国風土記稿による来迎院の縁起
(大山)来迎院
女坂の右にあり、密空山大山寺と號す、古義真言宗、八大坊末、開山義範、寛治二年十月五日卒、中興弘誉、寛永九年正月三日卒、本尊弥陀、當寺は別當八大坊、及山上寺院の菩提寺なり、此寺を土人茶湯寺と唱ふ、こは近邊の農家、死者ある時百ヵ日に當る日、當山不動へ参詣す、其時死者の名を記し、當寺に来て茶湯をうく、故にかく呼べり、又脇坊光圓坊にも此事あり。(新編相模国風土記稿より)
龍神堂(八大堂)について
元は二重滝にあり、寛永十八年(一六四一)に再建、三代将軍の徳川家光公により寄進される。
奈良時代に、大山寺別当の良辯僧正が大山龍神を感得す。
以後、八大龍王と呼び大山の守護神にして雨乞いの本尊なり。(青専研掲示より)
来迎院所蔵の文化財
- 木造釈迦涅槃像(伊勢原市指定重要文化財)
木造釈迦涅槃像
釈迦が涅槃に入った(亡くなった)時の様子を表し、右手を枕にして横臥する等身大の涅槃釈迦像です。彫刻としては涅槃像は、日本では少なく、貴重な作といえます。
造像技法は、いくつかの木を合わせた寄木造です。頭部は前後で矧ぎ、首の部分を体部に差し込んでいます。体部は前後左右で四材を矧ぎ、右脇の下に右腕となる二材を矧ぎ付けています。
江戸時代の作です。また、体内に納められていた木札の記録から明治九年(一八七七)に修理されていたことがわかりました。(伊勢原市教育委員会掲示より)
来迎院の周辺図