千蔵寺。本尊の厄神鬼王
千蔵寺の概要
天台宗寺院の千蔵寺は、法隆山教覚院と号します。千蔵寺は、修験宗湯殿山派清宝院として江戸時代に創建、明治時代5年の修験禁止令により、天台宗千蔵寺となっています。本尊の厄神鬼王は、インドに伝わる熱病除けの神で、ノミと小槌で病根を削り取り災厄を祓うといい、節分では「福は外、鬼は内」と言い、暗くした本堂に悪い鬼を招きいれ、改心させてから世間に送り出すといいます。
山号 | 法隆山 |
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院号 | 教覚院 |
寺号 | 千蔵寺 |
本尊 | 厄神鬼王像 |
住所 | 川崎市川崎区中瀬3-20-2 |
宗派 | 天台宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
千蔵寺の縁起
千蔵寺は、修験宗湯殿山派清宝院として江戸時代に創建したといいます。明治時代5年の修験禁止令により、天台宗千蔵寺となっています。
新編武蔵風土記稿による千蔵寺の縁起
(稲荷新田村)弁天社
村の西方にあり、小祠なり、勧請の年代を傳へず。
末社。稲荷社。社に向て左にあり、三間に二間。
別当清寶院
弁天の社の後背に住す。湯殿山派の修験なり。本尊大日を安置ず。(新編武蔵風土記稿より)
川崎市史による千蔵寺の縁起
千蔵寺は以前清宝院と呼ばれていた。清海という人の開いた寺であったが、「新編武蔵風土記稿」には「湯殿山派の修験なり」と記されている。幕末には一時廃寺になり、俗人が住んでいたとされる。それを明治三十年(一八九七)頃から東京麻布から僧が来て現在に至る。千蔵寺は厄神として七鬼様を祀り、厄病除けの祈祷や方違えの占いをしている。厄神講として講社を結成、大師河原地区でも田町・出来野に講社ができている。五月二十四日が縁日で、年末には赤と青の厄神の祓いの幣束を持ってくる。またその年の星まわりを書いた札を配って歩く。講社は東京方面に多い。(川崎市史より)
千蔵寺の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿