堀切氷川神社|旧下千葉村鎮守、境内社八王子神社
堀切氷川神社の概要
堀切氷川神社は、葛飾区堀切にある氷川神社です。堀切氷川神社は、天正年間(1573-91)旧下千葉村の鎮守として創建したと伝えられます。境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ、江戸時代に5石の朱印地を与えられています。
社号 | 氷川神社 |
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祭神 | 素盞鳴尊、東照大権現(八王子神社は、御祭神、建御名方神) |
相殿 | - |
境内社 | 八王子神社、稲荷神社、皇産霊神社 |
例祭日 | 9月9日 |
住所 | 葛飾区堀切5-38-10 |
備考 | 旧下千葉村鎮守 |
堀切氷川神社の由緒
堀切氷川神社は、天正年間(1573-91)旧下千葉村の鎮守として創建したと伝えられます。諏訪社を弘化3年(1846)に、八王子社を明治45年に合祀しました。境内社の八王子神社は、治承2年(1178)に創建した古社と伝えられ江戸時代に5石の朱印地を与えられています。
葛飾区神社調査報告による堀切氷川神社の由緒
社伝によると、天正年間(1573-91)旧下千葉村の鎮守として、武蔵国一ノ宮(埼玉県大宮市氷川神社)を勧請したものという。「新編武蔵風土記稿」下千葉村の条に「氷川社 村ノ鎮守ナリ。正王寺持。下持同シ。水社電電 諏訪 稲荷 清滝明神。諏訪社。八王子社 慶安2年、社領5石の御朱印ヲ附セラル。末社 道了権現 第六天 稲荷 厄神。別当 正王寺 新義真言宗青戸宝持院末。清滝山金長院ト号ス。開山俊義、正治元年3月14日寂ス。中興源栄、承応元年9月16日寂セリ。本尊弥陀」とある。
このうち諏訪社は弘化3年(1846)に、八王子社は明治45年に合祀し、昭和5年、八王子社の社宇を当社社殿の向かって左側に建てた。この八王子社については、正王寺所蔵の文久2年(1862)の縁起に次のように記されている。
清滝山正王寺八王子宮縁起
武蔵国葛飾郡清滝山金長院正王寺は治承2年の創建、久遠にして書記存せずといへども、事績の詳なるは本縁起に委し。往時、人皇82代後鳥羽院の御宇、右大将頼朝卿、山王11社の内なる八王子権現を深く尊信なし給ひ、坂西より此地に移し、当院に鎮座し奉り、祭祀の礼典著しく、田園百貫文を寄られ、その後、物換り星移り、慶安の年間、三代将軍家密公卿放鷹の刻、境内を通らせられ、八王子の宮を拝礼せられ、神縁を御尋問ありしに、征夷大将軍の始祖たる源右幕下の勧請たりし事を聞召され、悉も5石の荘園を寄附し給ふ。御朱印を賜はる当寺の住僧は山城国の産にして、将軍の親臣本だ中書忠勝の紙支層なり。仍て御帰依浅からず、幾度台駕を巡らされ、御愛顧を蒙りぬる事、挙げて数へ難し。□て法灯再び輝き、神威往古に倍増せり。爰に又八王子権現徳を記す。云々。
維昔文久第二竜集壬戌季奉吉日 武州葛西郡千葉村清滝山正王寺
また当社所蔵の慶安2年(1649)の朱印状写には
武蔵国豊島郡下千葉村正王寺八王子権現社領 同村之内五石事并寺中竹木諸厄等免除 依而家光判之例永不可有相違者也。
慶安二年八月十四日 御朱印
とある。すなわち八王子神社ははじめ源頼朝が正王寺内に勧請し、徳川三代将軍家光が五石の朱印地を下附したというのである。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
新編武蔵風土記稿による堀切氷川神社の由緒
氷川社。村の鎮守なり、正王寺持。下持同じ。
末社。雷電、諏訪、稲荷、清龍明神。
八王子社、慶安2年社領5石の御朱印を附せらる。
末社。道了権現、第六天、稲荷、厄除(新編武蔵風土記稿より)
堀切氷川神社所蔵の文化財
- 堀切堀切氷川神社のクロガネモチ(葛飾区指定文化財)
堀切氷川神社の周辺図