高木神社|里見氏の家臣武内家がの氏神第六天を創祀
高木神社の概要
高木神社は、葛飾区西亀有にある神社です。高木神社は、国府台の合戦に破れた里見氏の家臣武内家が当地に住み、武内氏の氏神第六天を祀ったものと考えられ、江戸時代には砂原村の鎮守社となっていました。第六天は、仏教界特に法華宗(日蓮宗)で祀られていることから、明治維新後の神仏分離令により、高木神社と改称したといいます。
社号 | 高木神社 |
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祭神 | 高皇産霊尊、倉稲魂命 |
相殿 | - |
境内社 | - |
例祭日 | 9月15日 |
住所 | 葛飾区西亀有4-15-20 |
備考 | 旧砂原村鎮守 |
高木神社の由緒
高木神社は、国府台の合戦に破れた里見氏の家臣武内家が当地に住み、武内氏の氏神第六天を祀ったものと考えられ、江戸時代には砂原村の鎮守社となっていました。第六天は、仏教界特に法華宗(日蓮宗)で祀られていることから、明治維新後の神仏分離令により、高木神社と改称したといいます。
葛飾区神社調査報告による高木神社の由緒
元禄10年(1697)の「砂原村検地水帳」に「第六天社地 9畝18歩」云々と載せ、「新編武蔵風土記稿」砂原村の条には「第六天社 村ノ鎮守ナリ。亀有村慈眼寺持」とある。一説に氏子武内家はもと安房の豪族里見家の家臣であったが、国府台の合戦に破れ、天正18年(1590)現在の足立区六ッ木に遁れ、さらにこの地に移り、同地の氏神第六天を当地に遷座したため、前住地には第六天耕地の名が残っているのみであるという。社名は明治5年、社格制定の時、高木神社と改めた。社殿は明暦2年(1656)・元禄123年(1699)・宝永2年(1705)・寛保3年(1743)・天明7年(1788)・安政3年(1856)の再建または修覆を経て、明治7年新築、大正4年3月改修の後、昭和36年9月、現在の社殿が造営された。(葛飾区教育委員会 葛飾区神社調査報告より)
地名砂原の由来
昭和40年10月、住居表示の実施により旧町名の砂原町が現在の西亀有1丁目~4丁目に改められました。「砂原」という地名は元禄時代にはじめてあらわれ、江戸時代初期に開墾された土地と推定されています。地名の由来は、むかしこの辺一帯が砂原の地であったため、はじめ砂地カ原と呼ばれ、それが砂っ原になり、やがて砂原になったものと言われています。この地は、東京低地が陸化する際に後退した海岸線付近に形成された砂州が発達しており、そのような事情が影響しているものと思われます。なお、砂原は江戸期~明治22年までは「砂原村」でしたが、明治22年~昭和7年の間、亀青村大字砂原と南綾瀬村大字砂原の2つに分かれていましたが、昭和7年葛飾区の誕生とともに、それぞれ砂原町上千葉町となりました。
高木神社所蔵の文化財
- 高木神社のイチョウ(葛飾区指定文化財)
高木神社の周辺図