延命寺|葛飾区東水元にある真言宗豊山派寺院

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八幡山延命寺|新四国四箇領八十八ヵ所

延命寺の概要

真言宗豊山派の延命寺は、八幡山地蔵院と号します。創建年代は不詳ですが、奈良時代(天平年間)に泰澄が創建したと伝えられます。慶長5年(1600)に焼失、元和3年(1617)覚祐が再建したといいます。西新井組中川通四箇領八十八箇所34番です。

延命寺
延命寺の概要
山号 八幡山
院号 地蔵院
寺号 延命寺
住所 葛飾区東水元3-18-18
本尊 地蔵菩薩坐像
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 延命寺幼稚園



延命寺の縁起

延命寺の創建年代は不詳ですが、奈良時代(天平年間)に泰澄が天平山興国寺弥陀院と号し創建したと伝えられます。慶長5年(1600)に焼失、元和3年(1617)覚祐が再建したといいます。

新編武蔵風土記稿による延命寺の縁起

延命寺
新義真言宗、金町村金蓮院末。八幡山地蔵院と号す。開山覚祐、元和8年2月17日寂。本尊地蔵。(新編武蔵風土記稿より)

葛飾区寺院調査報告による延命寺の縁起

「小合延命寺由緒書」によれば、当寺は奈良時代の泰澄創建の古刹であったが、慶長5年(1600)に焼失し、同15年古利根川に漂着した地蔵菩薩像を本尊として、元和3年(1617)覚祐が再興して延命寺と称したという。由緒書には次のように記されている。
当山縁由ハ不詳ナレド、伝説ニ依レバ、天平ノ頃、泰澄大師ノ草創ニシテ、天平山興国寺弥陀院ト号セシガ、慶長五年焼失セリ。同十五年、利根川洪水アリシ時、上小合村、今、古利根川ト云フ所ヘ地蔵菩薩流着シ給フ。依テ其所ヲ字蔵淵ト云フ。其時、当村ノ細谷七左衛門ト云フモノ、取上ゲ奉リテ弥陀堂に納メシヨリ。村内帰依シ奉リ、中興覚祐上人、元和三年、該寺ヲ再建セリ。時に当村鎮守八幡ナルヲ以テ、八幡山ト改メ、地蔵菩薩ノ縁ヲ以テ地蔵院延命寺ト改称セリ。第三世盛祐和尚ノ代ニ至リ、益々繁盛ニ成ル。元禄六年、有志ヲ募リ、鐘ヲ鋳、本堂ヲ再建ス。其後、正徳三年、下小合村ニ属スルト云フ。細谷氏ノ子孫、今尚当村に存セリ。慶長没年ヲ記セシ位牌ヲ蔵ス。云々
しかし「過去帳」には「当寺開山覚祐 元和八壬戌二月十七日寂」と記して覚祐を開山とし、また「道明信士 慶長十五年庚戌八月二十九日 内匠」「元和三年丁巳 小合村隼人」など、細谷氏一族と思われる記載があるから、慶長・元和のころ、当寺が確立していたことは事実であろう。当寺には明治二十八年調査の「寺院明細書上帳」一冊等を蔵する。現在の本堂は昭和49年改築、境内に検校木村田千勢の墓がある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)

延命寺の周辺図