八幡山上品寺|江戸十六閻魔、南四国南葛八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
上品寺の概要
新義真言宗の上品寺は、八幡山来迎院と号します。創建年代は不詳ですが、享保元年(1716)伝祐が新義真言宗正福寺末として一寺となったと伝えられます。境内閻魔堂の閻魔王像は、江戸十六閻魔の一つとして信仰されていました。南四国南葛八十八ヶ所霊場29番、西新井組中川通四箇領八十八箇所20番です。
山号 | 八幡山 |
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院号 | 来迎院 |
寺号 | 上品寺 |
住所 | 葛飾区東新小岩7-8-2 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南四国南葛八十八ヶ所霊場29番札所 |
上品寺の縁起
上品寺の創建年代は不詳ですが、享保元年(1716)伝祐が新義真言宗正福寺末として一寺となったと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による上品寺の縁起
上品寺
新義真言宗、上小松村正福寺末、八幡山来迎院と称す。本尊阿弥陀、運慶の作と云。当寺元庵室にてありしを享保年中僧傳祐の時一寺となせり。因てこれを開山とす。寛保3年4月9日寂す。
八幡社。
阿弥陀堂。(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による上品寺の縁起
開創不詳。文明元年(1469)尊栄法印中興。享保元年(1716)伝祐の時に法流を伝承した。元文4年(1739)の「正福寺惣門末起立録」には次のように記されている。
上平井村 八幡山 来迎院 上品寺
1 本尊 阿弥陀如来
1 中興 文明元年 法印尊栄 元文4年迄凡271年
1 諏訪 氷川 稲荷 水神 山王 浅間 大荒神 道祖神 社地 御見捨
1 境内 1反1畝15歩 御除地
1 寺附 2町2反4畝15歩 御年貢地
1 御法流 享保元年 伝祐代相続
1 境内 有八幡宮社
1 御代官所 伊那半左衛門殿
本堂は安政2年(1855)の地震に倒壊後、再建され、大正11年および昭和11年に修築された。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
葛飾区観光協会掲示による上品寺の縁起
葛飾名所
上品寺の閻魔大王坐像
当寺は新義真言宗にして、八幡山来迎院という。
この閻魔堂に安置する閻魔大王坐像は、高さ206センチあり、かつて江戸十六閻魔の一つとして栄え、区内最大のものである。
閻魔大王は、地獄に住み18の将良と8万の獄卒を従え、死して地獄に落ちくる人間の生前の善悪を正し、罪あるものには、苦しみを与える冥王として信仰する人が多い。
当寺の閻魔は、江戸中期にもっとも盛んに信仰され、昭和47年に閻魔堂が新築され現在に至っている。(葛飾区観光協会より)
上品寺の周辺図