臨江山真禅寺|南葛八十八ヶ所
真禅寺の概要
臨済宗妙心寺派の真禅寺は、臨江山不二院と号します。大法正眼国師盤珪和尚を勧請開山とし、天珪仁秀が第二世として創建しました。南葛八十八ヶ所霊場32番札所です。
山号 | 臨江山 |
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院号 | 不二院 |
寺号 | 真禅寺 |
住所 | 葛飾区東立石1-22-3 |
本尊 | 釈迦牟尼仏坐像 |
宗派 | 臨済宗妙心寺派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場32番札所 |
真禅寺の縁起
真禅寺は、大法正眼国師盤珪和尚を勧請開山とし、天珪仁秀が第二世として創建しました。
葛飾区寺院調査報告による真禅寺の縁起
当寺に所蔵する宝永5年(1708)霊源自筆の「真禅寺中興記」によれば創立の年代は詳らかではないが、寛永の初有行の僧が再興した。盤珪永琢の弟子天珪仁秀(-1728)は元禄4年(1691)箱根温泉で木下川の農夫から隣村に廃寺があり、その環境が幽遂であることを聞き、当寺を尋ねたところ、方四間の□屋に、頭部が風雨に浸された仏像があり、像内に阿弥陀仏の倚像を納め、左右には閻魔王と奪衣婆の像を安置してあった。仁秀はその堂を修復して真禅寺と名づけて住し、同8年、土地等を購入して、父鏡山空円居士(伊勢の浪人で、某候に仕えた山内俊満、-1680)と母、本光祖英大姉の冥福を修し、父を真禅寺中興開基、師の盤珪を開山と仰ぎ、寺を盤珪が住持した京都妙心寺の末寺とし、同年酒井河内守の検地に際して、寺地が無租地となった。仁秀は宝永4年(1707)寺を光林霊源に譲って隠退したという。(以下省略)
また、「新編武蔵風土記稿」には次の記事がある。
真禅寺 禅宗臨済派京都妙心寺末。臨江山不二院ト号ス。本尊釈迦。開山大法正眼国師盤珪和尚。中興勅諡正偏知覚禅師霊源大和尚ト号ス。又天珪仁秀ト去僧アリ。享保9年寂ス。仁秀の父ハ山内俊満トイヒシ人ニテ、勢州の処士也。某候ノ藩臣トナリ、延宝8年8月2日死シ、法諡ヲ鏡山空円ト云。仁秀、父ノ跡ヲ継デ仕官セシカ、程ナク仕ヲ辞シ、禅門ニ入リ、終ニ当寺ニ住職シ、堂宇以下悉ク修造セシカハ、中興の開基トナルヘキヲ謙退シ、父ノ空円ヲ以テ中興開基トナルセリト云。当寺ニ酒井河内守忠本ノ位牌ヲオケリ。法諡ヲ威林院殿故従四品前羽林次将諒良源信大居士ト書セリ。当寺境内ヲ除地トセシハ、コノ忠本の請ニヨリシナレハ、其恩ヲ謝センカ為、木牌ヲ置クト云。閻魔堂、古ハ当寺、却テ此堂ノ傍ニアリテ、庵室ノ如リナリシト云。弁天堂 秋葉・金毘羅のニ座ヲ合祠セリ。
現在も寺には、盤珪作如意輪観音像、盤珪および霊源の頂相・盤珪自筆短歌・山内俊満夫妻の木像および位牌・酒井忠挙位牌など由緒深い寺宝を多数所蔵している。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
真禅寺所蔵の文化財
- 絹本着色盤珪永琢禅師頂相 1幅(葛飾区指定文化財)
- 絹本着色霊源周蔭禅師頂相 1幅幅(葛飾区指定文化財)
- 真禅寺中興記 1巻幅(葛飾区指定文化財)
真禅寺の周辺図