医王山極楽寺|荒川辺八十八ヶ所、南葛八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
極楽寺の概要
真言宗豊山派の極楽寺は、医王山薬王院と号します。宝徳元年(1449)に紀伊根来寺の普済亜闍梨が創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場61番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場64番札所、荒綾八十八ヶ所霊場67番札所、東三十三所観音霊場5番です。堀切菖蒲園近くにあり、疣取り地蔵として有名です
山号 | 医王山 |
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院号 | 薬王院 |
寺号 | 極楽寺 |
住所 | 葛飾区堀切2-25-21 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 阿弥陀如来坐像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場60番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場64番札所、荒綾八十八ヶ所霊場67番札所 |
極楽寺の縁起
極楽寺は、宝徳元年(1449)に紀伊根来寺の普済亜闍梨が創建したと伝えられます。
葛飾区寺院調査報告による極楽寺の縁起
宝徳元年(1449)紀伊根来寺の普済亜闍梨の創立。永禄3年(1560)8月、大洪水のため本堂以下ことごとく流失したので、同5年5月正済法印が再興した。過去数回にわたる水害のため、多くの記録を失ったが鎌倉-室町時代の板碑を保存し、かつては「文永9年(1271)9月日」の板碑もあった。境内の薬師堂の本尊は<寅薬師>または<砦内の薬師>ともいい、室町時代に領主窪寺氏の城内にあったものという。なお境内の<首塚>は付近から発見された多数の頭蓋骨を埋葬し、供養の碑を建てたものと言われている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による極楽寺の縁起
極楽寺
新義真言宗、青戸村宝持院末。医晃山薬王院と号す。本尊弥陀。当寺は永禄3年の起立と云。中興栄應、元文元年9月27日寂す。
薬師堂。(新編武蔵風土記稿より)
極楽寺所蔵の文化財
- 極楽寺女人橋関係石材一括(葛飾区登録文化財)
極楽寺女人橋関係石材一括
女人橋関係石材一括
近世における講義団による造立物は、江戸時代中期には同行集団によるものから女人集団による造立が多くなりますが、一般的には十九夜塔や道標を兼ねた供養等が多く、石標を造立する例は比較的珍しいものです。
この橋のたもとには、竹を四方に囲み幣束を垂らしたものが設けられ、出産で亡くなった妊婦の供養のために、たくさんの人に水をかけてもらったようです。千人に水をかけてもらえれば供養できると信じられてきました。
近年、出産による妊婦の死が減り、このような儀礼も消滅しつつありますが、近年中世の元文2年(1737)11月に「女人講中」の手によって女人橋が架設されていることは、当時の産育儀礼を知る上で貴重な資料です。
この橋は、現在の堀切二丁目21番21号と同一丁目15番6号の間に架設されていたと言われています。(葛飾区教育委員会掲示より)
極楽寺の周辺図