清滝山正王寺|赤門寺、南葛八十八ヶ所、荒川辺八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
正王寺の概要
真言宗豊山派の正王寺は、清滝山金長院と号します。正王寺は、治承2年(1178)八王子社(現堀切氷川神社)別当として法印俊義が創建したと伝えられます。朱塗りの山門から一般に赤門寺と呼ばれています。境内には南葛八十八ヶ所霊場59番札所、荒川辺八十八ヶ所霊場59番札所、荒綾八十八ヶ所霊場15番札所、東三十三所観音霊場3番です。
山号 | 清滝山 |
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院号 | 金長院 |
寺号 | 正王寺 |
住所 | 葛飾区堀切5-29-14 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
正王寺の縁起
正王寺は、治承2年(1178)、八王子社(現堀切氷川神社)別当として法印俊義が創建したと伝えられます。
葛飾区寺院調査報告による正王寺の縁起
治承2年(1178)5月、法印俊義の開山と伝えられる。天文7年(1538)国府台の合戦による兵火に焼失して荒廃したが、慶長年間山城国の人法印源栄が再興し、中興開基となった。その後数回にわたる水禍のため古記録を失い、由緒は明らかでないが、当寺がもと別当職を勤めた八王子社(隣接する現堀切氷川神社)の縁起には、次のように記されている。
清滝山正王寺八王子宮神縁起
武蔵国葛飾郡下千葉村清滝山正王寺は、治承2年の創建、久遠にして書記存せずといへども、事跡の詳なるは本縁起に委し。往時、人皇82代後鳥羽院の御宇、右大将頼朝卿、山王11社の内なる八王子権現を深く尊信なし給ひ、坂西より此地に移し、当寺に鎮座し奉り、祭祀の礼典著しく、田園百貫文を寄られ、その後物換り星移り、慶安の年間、三代将軍家光公御鷹狩の刻、境内を通らせられ、八王子の宮を拝せられ、神録を御訊問ありに、征夷大将軍の始祖たる源右幕下の勧請たりし事を聞召され、恭も5石の荘園を寄附し給ふ。御朱印を賜はる当寺の住僧は、山城国の産にして、将軍の親臣本多図書忠勝候の紙支層なり。以って御帰依浅からず、数度台駕を巡らされ、御愛顧を蒙りぬる事挙げて数へ難し。□て法灯再び輝き、神威往古に倍増せり。爰に又八王子権現神徳を記す。云々
維時文久第二竜集壬戌季春吉日 武州葛飾郡下千葉村清滝山正王寺
なお当寺の山門は朱色のため、一般に赤門寺と呼んでいる。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による正王寺の縁起
(八王子社)別当正王寺
新義真言宗、青戸村宝持院末、清龍山金長院と号す。開山俊義正治元年3月14日寂す。中興源栄承応元年9月16日寂せり。本尊弥陀。(新編武蔵風土記稿より)
正王寺の周辺図