八王山妙厳寺|南葛八十八ヶ所、新四国南葛八十八ヶ所
妙厳寺の概要
真言宗豊山派の妙厳寺は、八王山不動院と号します。応永22年(1415)に創建したと伝えられます。永禄元年(1558)上小松村西福院の海鎮法印が中興したといいます。南葛八十八ヶ所霊場の21番、西新井組中川通四箇領八十八箇所18番です。
山号 | 八王山 |
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院号 | 不動院 |
寺号 | 妙厳寺 |
住所 | 葛飾区奥戸3-28-10 |
本尊 | 不動明王 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場21番札所 |
妙厳寺の縁起
妙厳寺は、応永22年(1415)に創建したと伝えられます。永禄元年(1558)上小松村西福院の海鎮法印が中興したといいます。
新編武蔵風土記稿による妙厳寺の縁起
妙厳寺
同末(新義真言宗、上小松村正福寺末)なり。八王山不動院と号す。本尊不動。(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による妙厳寺の縁起
応永22年(1415)の創立と伝え、もと本寺の正福寺の過去帳に「永享9年(1437)丁巳 妙厳寺義海」の文字が見えるので、応永年間の創立であることが立証できる。永禄元年(1558)上小松村西福院の海鎮法印が中興し、享保元年(1716)盛吽法印が法流を相続した。元文4年(1739)の「正福寺惣門末起立録」に
本奥戸村 八王子山 不動院 妙厳寺
本尊不動明王
中興 元禄元午年 法印海鎮
元文四己未年迄 凡193年
牛頭天王社地 1反余 御見捨
境内 2反3畝10歩 恩除地
寺附田地 9反7畝2部 御年貢地
買添 1町2畝10歩 御年貢地
御法流 享保元申年 法印盛吽相続
御代官所 伊那半左衛門殿
とある。本堂は安静二年(1855)の大地震に倒壊し、明治14年再建、昭和9年その位置を変更して改築し、同40年、客殿、庫裡を新築した(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
妙厳寺所蔵の文化財
- 金銅華曼 二面(葛飾区登録文化財)
- 木彫地蔵菩薩像(葛飾区登録文化財)
- 十三仏信仰関係遺品一括(葛飾区登録文化財)
金銅華曼 二面
華曼は、もともとインドにおいて生花を紐で結んで連ね、環にして首にかける服飾品ですが、わが国や中国では、仏堂の内陣長押に垂らす荘厳具となっています。
2面とも裏面中央の紐紋の間に「為冷泉戒浄善女佛果也 享保十八癸丑天(1733)十一月十三日 施主村越氏」の3行の彫銘があり、江戸時代中期の妙厳寺の興隆期をうかがわせる遺品です。施主の村越氏は代々勘右衛門を名乗る有力檀家の一つで、「冷泉戒浄善女」の名は同寺の過去帳に記載がみられます(葛飾区教育委員会)
木彫地蔵菩薩像
この地蔵菩薩像は、岩座上の半跏踏下げ像で、重層の蓮華座上に像を安じ、内側をくり抜いた宝珠形が像にかぶせてあり、それをはずすと尊像があらわれるようになっています。
像背面に「為宝誉栄三菩提、照明寺栄範敬白」、台座の底面に「天文二丁巳天(1737)十月十日」の銘がありますが、制作仏師名や像の由来等は不詳です。
小像ではありますが、宝珠の中から地蔵が出現するという特異な構想が注目され、また彫技も優れています。
十三仏信仰関係遺品 一括
十三仏信仰は中世におこり、初七日から三十三回忌までの13回の法事に礼拝する仏・菩薩を定めて供養したものです。
近世になると各村落の念仏講中などでその十三仏の絵図を作り祖霊の供養を行うようになり、大いに普及しました。
当時に両界曼荼羅をともなう3幅対、十三仏絵図1幅、及び木彫十産仏像と、三種三様の十三仏信仰関係遺品が揃って伝承されていることは注目に値します
妙厳寺の周辺図