薬王山医王寺|柴又七福神の福徳恵比寿天、南葛八十八ヶ所
医王寺の概要
真言宗豊山派の医王寺は、薬王山瑠璃光院と号します。観賢法印が応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。戦国時代の国府台合戦で罹災、寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興、医王寺と改称しました。に当地で建立させました。柴又七福神のうちの福徳恵比寿天で、南葛八十八ヶ所霊場57番、東三十三所観音霊場10番札所です。
山号 | 薬王山 |
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院号 | 瑠璃光院 |
寺号 | 医王寺 |
住所 | 葛飾区柴又5-13-6 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
本尊 | 薬師如来立像 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 柴又七福神の福徳恵比寿天、南葛八十八ヶ所霊場57番札所 |
医王寺の縁起
医王寺は、観賢法印が応永14年(1407)に創建、下総国分寺下の薬王寺と呼ばれたと伝えられます。戦国時代の国府台合戦で罹災、寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興、医王寺と改称しました。
新編武蔵風土記稿による医王寺の縁起
医王寺
同(新義真言宗、金町村金蓮院)門徒、薬王山と号せり。本尊薬師を置(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による医王寺の縁起
応永14年(1407)観賢法印の創立、もと<下総国分寺下の薬王寺>と呼ばれた。天文7年(1538)・永禄7年(1564)再度の国府台合戦に焼亡したという。寛永年間(1624-44)金蓮院の僧某が再興して、名を医王寺と改めた。本尊薬師如来像は古くから秘仏とされている。もと江戸川の沿岸にあったが、大正4年堤防拡張工事のため現在地に移った。なお当寺は<そば寺>として知られ、本堂の傍らに<そば地蔵尊>の石像がたち、また柴又七福神の一の恵比寿像が安置されている。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
医王寺の周辺図