東流山西円寺|南葛八十八ヶ所、荒綾八十八ヶ所
西円寺の概要
新義真言宗寺院の西円寺は、東流山蓮蔵院と号します。永禄10年(1567年)覚元法師が創建したと伝えられ、江戸時代には立石諏訪神社の別当寺でした。南葛八十八ヶ所霊場40番札所、東三十三所観音霊場30番、荒綾八十八ヶ所霊場掛番札所です。
山号 | 東流山 |
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院号 | 蓮蔵院 |
寺号 | 西円寺 |
住所 | 葛飾区立石8-5-18 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
宗派 | 新義真言宗 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 摩耶幼稚園併設、南葛八十八ヶ所霊場40番札所、荒綾八十八ヶ所霊場掛番札所 |
西円寺の縁起
西円寺は、永禄10年(1567年)覚元法師が創建したと伝えられます。明治時代初期には公立青砥学校堅石分校(現本田小学校)の仮校舎となったこともあります。
葛飾区寺院調査報告による西円寺の縁起
1567年覚元法師の創立。当寺は明治維新のころ無住状態にあり、記録を失ったので詳しい由緒は明らかでないが、「葛西誌」に、明応・大永など室町時代の板碑が多数保存されているとし、現在も明応3年(1494)と大永7年(1527)の板碑二基を所蔵している。元文4年(1739)の「正福寺惣門末起立録」には、次の記事がある。
西葛西領立石村 東流山 蓮蔵院 西円寺
1 本尊 阿弥陀如来
1 開基 永禄10年 覚元法師 元文4年迄凡172年
1 諏訪宮社地 6畝15歩 御捨地
1 廟所 9歩 右同断
1 境内 7畝21歩 右同断
1 寺附 4反9畝12歩 御年貢地
1 買添 3反2畝11歩 右同断
1 同 1反1畝35歩 右同断
江戸時代末期には、寺子屋が開かれ、学制発布後、明治7年11月、公立青砥学校堅石分校(現本田小学校)の仮校舎となったことがある。(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
新編武蔵風土記稿による西円寺の縁起
西円寺
同寺(南蔵院)の門徒東流山蓮蔵院と号す。当寺は永禄10年の起立にて開山を覚元と云、示寂の年月を失ふ。本尊大日。(新編武蔵風土記稿より)
西円寺の周辺図