医王山東光寺|南葛八十八ヶ所、新四国四箇領八十八ヵ所
東光寺の概要
真言宗豊山派寺院の東光寺は、医王山瑠璃院と号します。慶長元年(1596)海秀法印が創建したと伝えられます。南葛八十八ヶ所霊場の28番、西新井組中川通四箇領八十八箇所19番です。
山号 | 医王山 |
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院号 | 瑠璃院 |
寺号 | 東光寺 |
住所 | 葛飾区西新小岩5-21-20 |
本尊 | 薬師如来 |
宗派 | 真言宗豊山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 南葛八十八ヶ所霊場の28番札所 |
東光寺の縁起
東光寺は、慶長元年(1596)海秀法印が創建したと伝えられます。
新編武蔵風土記稿による東光寺の縁起
東光寺
同末(新義真言宗、上小松村正福寺末)にて医王山瑠璃院と称す。本尊薬師を安す、腹籠に行基の刻せる四寸許の木像を秘めをけりと云。開山詳ならず。第二世空秀、寛文4年示寂といへば、古き寺にはあらざるべし。中興を空鍐と云、寛政7年4月朔日寂せり。
阿弥陀堂(新編武蔵風土記稿より)
葛飾区寺院調査報告による東光寺の縁起
慶長元年(1596)、海秀法印創立。一時荒廃したが、空鍐法印再興し、本寺正福寺の年頭をつとめ、村の鎮守三社大明神の別当であった。元文4年(1739)の「正福寺惣門末起立録」には、
上平井村 医王山 瑠璃院 東光寺
1 本尊 薬師如来 行基菩薩作
1 開基 慶長元年 海秀法印
1 当村鎮守 神明宮 多賀明神 別当
1 境内 1反4畝20歩
1 寺附 1町3反2畝1歩
1 外 6反2畝8歩 浄戒寄付 御年貢地
1 御代官所 伊那半左衛門殿
とある(葛飾区教育委員会 葛飾区寺院調査報告より)
東光寺所蔵の文化財
- 安政大地震の様子を伝える石造地蔵像(葛飾区登録有形文化財)
安政大地震の様子を伝える石造地蔵像
安政2年(1855)10月2日夜、直下型大地震が江戸の街を襲いました。地震の規模はマグニチュード6.9程度で、死者は7千~1万人にも上ると伝えられています。葛飾区の中ではとくに亀有付近が大きな被害に見舞われました。
この地震のために東光寺にあった石造の地蔵も破壊されました。そこで住職たちが喜捨を募って新たに造ったのが現在の石造地蔵像です。堀切妙源寺の石造題目塔や細田神社の石造鳥居などと共に、未曾有の災害に対処した当寺の様子を今に伝えています。(東京都葛飾区教育委員会掲示より)
東光寺の周辺図