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袋諏訪神社|北区赤羽北の神社、袋村の総鎮守

袋諏訪神社の概要

袋諏訪神社は、北区赤羽北にある諏訪神社です。袋諏訪神社は、真頂院初世秀善和尚が信州諏訪大社を勧請して応永3年(1396)に創建、江戸期には袋村の鎮守社だったといいます。

袋諏訪神社
袋諏訪神社の概要
社号 袋諏訪神社
祭神 建御名方命
相殿 -
境内社 稲荷神社二社、八幡神社、須賀神社、白山神社、猿田彦神社
住所 北区赤羽北3-1-2
備考 袋村鎮守



袋諏訪神社の由緒

袋諏訪神社は、真頂院初世秀善和尚が信州諏訪大社を勧請して応永3年(1396)に創建、江戸期には袋村の鎮守社だったといいます。

新編武蔵風土記稿による袋諏訪神社の由緒

(袋村)
諏訪社
村の鎮守とす真頂院持下同じ
末社丸山権現。古は當社を鎮守とせしに後今の如なれりと云。 (新編武蔵風土記稿より)

「東京都神社名鑑」による袋諏訪神社の由緒

往時は真頂院持といい、その第一世秀善和尚が応永三年(一三九六)九月九日に創立したと伝えられるが詳らかでない。昭和十年社務所、同十一年神楽殿を新築した。(「東京都神社名鑑」より)

北区神社めぐりによる袋諏訪神社の由緒

応永3年(1396)に、真頂院の第1世秀善和尚が信州諏訪大社より勧請したとされる。以後約470年間、真頂院が別当職を務める。御神徳は家内安全・健康長寿・交通安全など。社殿左のカヤの巨木が御神木。(北区神社めぐりより)

「北区史」による袋諏訪神社の由緒

諏訪神社(袋)
袋の鎮守で字殿山に在る。建御名方命を祀り、昔は真頂院持であつた。例祭は九月二十七日(昭和三年迄は十月二十七日)境内面積九百七十二坪、末社に稲荷神社二、八幡神社、須賀神社がある、境内には抉杉があつた。「新編武蔵風土記稿」によれば末社に丸山権現があつて古くは村の鎮守であつたと云う。尚真頂院では、同院第一世秀善和尚が応永三年九月九日の創立と称しているが、境内に在る山王大権現の石碑は寛政十二年三月に住職祐山の建てたもので、それには「勧請建久五甲寅年今年六百七年」と彫られている。或は山王権現の方が古くよりの社であつたかも知れぬ。(「北区史」より)

東京都北区教育委員会掲示による袋諏訪神社の由緒

祭神は建御名方命です。別当寺であった真頂院(足立郡川口宿錫杖寺末寺)の寺伝によれば、応永三年(一三九六)九月、同院第一世秀善和尚が創立したものだそうです。末社には、稲荷神社二社、八幡神社、須賀神社、白山神社、猿田彦神社があり、それぞれ、宇迦之御魂命、品陀和気命(応神天皇)、須佐之男命、伊邪那岐命、猿田彦命を祀っています。
「新編武蔵風土記稿」には、神社の末社である丸山権現がかつての袋村の鎮守で、後にこの諏訪神社に改められたことが記されています。
かつて社前には、袂杉と呼ばれた名木があり、神社の御神木にもなっていました。これは、真頂院の和尚が、諏訪(長野県)から両方の袂に入れて持ち帰り、神社の前後に植えた杉苗の内の一つでした。
現在御神木の切株は、本殿の裏に移され、残っています。(東京都北区教育委員会掲示より)


袋諏訪神社所蔵の文化財

  • 袋村の庚申待供養塔群

袋村の庚申待供養塔群

諏訪神社の社地には、袋村の人々が造立した七基の更新待供養塔があります。更新待供養塔は、庚申塔とも通称され、最初は村の各地にありましたが、神社が真頂院を別当とする袋村の鎮守なので、次第に現在の地に移設されました。
この参道には、最も右側にある塔を除いた計四基の青面金剛立像庚申供養塔がありますが、これらは元禄十六年(一七〇三)一一月から天明五年(一七八五)一□月までの間に造立されたものです。いずれも、塔の中央には鬼を踏みつける青面金剛立像が刻まれ、両側面には、塔を造立した趣旨や造立年代が刻まれています。また、その下には塔を造立した袋村の人々の名前が刻まれています。
人の体内には三尸という虫が住み、僅かな過ちをおかしても体内から抜け出して天帝に悪事を告げ、これを聞いた天帝が人の命を縮めてしまうという信仰があります。三尸が天に抜け出すのは干支でいう庚申の日の睡眠中だと信じられていましたので、この日の夜、人々は虫が体内から抜け出ないように一カ所に集まって徹夜で呪術儀礼と共同飲食の会を催しましたが、この会は、また、村の人々の楽しい交歓の場でもありました。
庚申塔は、こうした庚申信仰によるによる集会の記念に建てられたもので、当時の人々の信仰や交流の在り方を偲ばせてくれます。(北区教育委員会掲示より)

袋諏訪神社の周辺図