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光明院|北区田端にある真言宗豊山派寺院

光明院の概要

真言宗豊山派寺院の光明院は、薬王山遍照寺と号します。光明院の創建年代等は不詳ながら、天正十九年の検地帳に記載があり、安土桃山時代には既に創建していたといい、朝海が中興開山したといいます。豊島八十八ヶ所霊場9番札所、上野王子駒込辺三十三ヶ所観音霊場20番札所です

光明院
光明院の概要
山号 薬王山
院号 光明院
寺号 遍照寺
住所 北区田端3-21-5
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 光明院幼稚園併設



光明院の縁起

光明院の創建年代等は不詳ながら、天正十九年の検地帳に記載があり、安土桃山時代には既に創建していたといい、朝海が中興開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による光明院の縁起

(田端村)光明院
同宗(新義真言宗)西ヶ原村無量寺末薬王山遍照寺と號す本尊大日。
薬師堂。聖徳太子の作の薬師を置く立像長一尺五寸。
観音堂。(新編武蔵風土記稿より)

「北区史」による光明院の縁起

光明院(田端)
田端町百番地に在る。薬王山光明院遍照寺と称する。田端与楽寺末であつたが、昭和十五年長谷寺末となつた。本尊は大日如来で別に弘法大師と、興教大師が安置されている、附属仏堂に正観音菩薩を、薬師堂に薬師如来が安置してある。開基創立は不詳であるが、旧家浅賀長兵衛氏の家にあつた記録に依れば、天正十九年七月の検地水帳に「光明院」とあつて、それ以前よりの古寺なることは判る。尚当時当所に勧請の白鬚神社の別当であつたことも記録にある。朝海が中興開山とあるがよく判明しない。明治維新の神仏分離の後は荒廃に帰して居つたのを昇安が本堂及庫裏を新築し其復興の緒を見たが、十三年昇安入寂して無住となり、後明治三十二年復活するに至つた。尚薬師は府内の七薬師の第二番として、昔は大に世に著はれたことが「江戸砂子」に見える。(「北区史」より)


光明院の周辺図