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亀戸浅間神社|江東区亀戸の神社、亀戸七福神の福禄寿

亀戸浅間神社の概要

亀戸浅間神社は、江東区亀戸にある浅間神社です。亀戸浅間神社は、当地の住人甘露寺元長が大永7年(1527)に創建したと伝えられます。

亀戸浅間神社
亀戸浅間神社の概要
社号 浅間神社
祭神 木花咲耶比売命
相殿 -
境内社 稲荷神社、下浅間神社
住所 江東区亀戸9-15-7
備考 -



亀戸浅間神社の由緒

亀戸浅間神社は、当地の住人甘露寺元長が大永7年(1527)に創建したと伝えられます。

新編武蔵風土記稿による亀戸浅間神社の由緒

(亀戸村)冨士浅間社、普門院
末社稲荷。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による亀戸浅間神社の由緒

亀戸浅間神社は、社伝によれば大永7年(1527)に創建されました。祭神は木花咲耶比売命です。もともとこの辺りの地は高貝洲と呼ばれていました。これは日本武尊が東征した時に海が荒れ狂ったため、弟橘媛が海に身を投じ、その際に身につけていた笄が亀戸浅間神社のあるあたりに流れ着いたことによるものです。のちに景行天皇(第十二代と伝えられる)がその地に笄塚を建てたとされています。この笄塚の場所に富士塚が築かれ、江戸時代には多くの信仰を集めました(境内「亀戸の富士塚」文化財説明板を参照)。
本殿は安政2年(1855)の江戸大地震、大正12年(1923)の関東大震災で被災しました。現在の本殿は昭和初年に建立されたもので、平成10年(1998)の大島・亀戸・小松川防災再開発事業にともなって、今の位置に移動しています。境内には亀戸の富士塚や享和元年(1801)在銘の富士せんげん・亀戸天神・六阿みだ・あさくさ道道標(いずれも区指定有形文化財)など数多くの文化財が残されています。また、かつて神社境内のそばを通っていた城東電気軌道の線路も残され、関東最大の茅の輪を作る(茅の輪くぐり)神事が年2回行われるなど、亀戸東部地域の歴史や民俗を伝える鎮守として、人々の信仰をあつめています。(境内掲示より)

「江東区の民俗城東編」による亀戸浅間神社の由緒

伝承によれば、大永七年(一五二七)に里人甘露寺元長が浅間神社を勧請した。江戸時代には亀戸・大島・吾嬬の富士講の道場として富士山型の山が築かれた。
境内には富士講関係の石造遣物が多く残され、石段は宝暦三年(一七五三)に奉納され、深川の山玉講が水盤を寛政七年(一七九五)に奉納した。明治三三年には丸不二講が天水桶を奉納した。丸不二講は亀戸村の講であり、亀戸九丁目の鈴木氏宅には富士講の行衣が残され、江東区の有形文化財に登録されている。富士講による富士登山は昭和初期に行われたのが最後という。
また、明治三三年に奉納された「たのみの辞碑」によれば、この浅間山は橘媛の笄が漂着した地で、笄洲といい、後に浅間社をお祭りしたという。古来石祠のみだったが、明治八年に本社・拝殿を塚の上に建築した。この社は戦災の時に大きな被害を受けなかったので昭和九年に建てられた社殿が残った。氏子範囲は亀戸九丁目である。(「江東区の民俗城東編」より)


亀戸浅間神社所蔵の文化財

  • 庚申塔
  • 法華経供養塔
  • 供養塔(破損仏)伝馬頭観音
  • 地蔵供養塔(天明2年)
  • 地蔵供養塔(当社庵主一量在銘)
  • 地蔵供養塔
  • 観音供養塔
  • 如意輪観音供養塔
  • 石造鳥居(江東区登録有形文化財)
  • 冨士せんげん道道標(江東区登録有形文化財)
  • 修庭記碑(江東区登録有形文化財)
  • 石造燈籠(江東区登録有形文化財)
  • 敷石及修繕費奉納碑1基(江東区登録有形文化財)
  • 身禄歌碑(江東区登録有形文化財)

亀戸浅間神社の周辺図


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