亀戸水神宮|江東区亀戸の神社

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亀戸水神宮|戦国時代に開村の際に創建

亀戸水神宮の概要

亀戸水神宮は、江東区亀戸にある神社です。亀戸水神宮の創建年代は不詳ですが、享禄年間(1528-1532)の開村の頃に創建されたのではないかと推測され、延宝年間(1673-1681)の古地図には当社が記載されているといいます。亀戸香取神社の兼務社です

亀戸水神宮
亀戸水神宮の概要
社号 亀戸水神宮
祭神 罔象女神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 江東区亀戸4-11-18
備考 亀戸香取神社の兼務社



亀戸水神宮の由緒

亀戸水神宮の創建年代は不詳ですが、享禄年間(1528-1532)の開村の頃に創建されたのではないかと推測され、延宝年間(1673-1681)の古地図には当社が記載されているといいます。

境内掲示による亀戸水神宮の由緒

亀戸水神宮の創建は古く、各種の文献を総合すると室町幕府十二代将軍足利義晴の治世の頃(1521~1546)と推定されます。土民が水害から免れん為の祈願とし て大和国吉野の丹生川上神社から勧請したもので、祭神は弥都波能売神(ミズハノメノカミ)という水を司る女神です。(罔象女神とも表記します)付近には鈴 木姓、田中姓の方が多くいらっしゃいますが、何れも土着の古い農家の流れをくむ方達であり亀戸の中でも特に歴史を有する地区でもあります。昭和20年3月 の大空襲の際に甚大な被害に遭いましたが昭和35年6月に再建され、現在は毎年6月第一日曜日に例祭を斎行しています。
近辺には水神小学校や水神駅、また水神通りなどがあり地域の皆さんに親しまれています。(境内掲示より)

「江東区の民俗城東編」による亀戸水神宮の由緒

「神社明細帳」によれば、創立年月は不詳であり、この土地を開発するときに、水防のために堤を築く、その際に堤の上に水神を勧請して洪水の災いが無いように鎮祭したという口伝があるという。
『東京亀戸水神宮再建のあゆみ』によれば、水神社周囲が開発されたのは享禄年間(一五二八~三二)と伝えられており、水神社もそのころに創建され、延宝年間(一六七三~八一)の古地図には水神社が記載されてあるという。水神社所在の地域を下の図子といい、明治三三年(一九〇〇)に町村制施行により亀戸町が成立すると下の組と呼び、更に志茂陸会を結成して水神社の維持と経営に当たった。昭和一三年(一九三八)に東京市自治制施行五〇年記念に当たり全市町会整備が実施され、志茂陸会も自然解散となり、その地域が現在の亀戸四・五・八丁目になった。
昭和二〇年三月の戦災により、神社地が荒廃し、地元有志の発起により亀戸水神宮再建奉賛会が昭和三四年に結成された。会長は水神官の宮司も兼ねる香取神社(亀戸香取神社)宮司で、副会長は水神通り会長・亀戸町四丁目町会長、亀戸町五丁目自治会長、亀戸町八丁目町会長、水神講講元が就任した。昭和三五年六月一四日に再建完成祝典が開催された。現在は水神奉賛会が水神社をお守りしている。会員は旧下図子の者であるという。(「江東区の民俗城東編」より)


亀戸水神宮所蔵の文化財

  • 亀戸水神森由来碑昭和13年在銘(江東区登録文化財)

亀戸水神宮の周辺図