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亀出神社|江東区大島の神社、旧大島村・大島町の鎮守

亀出神社の概要

亀出神社は、江東区大島にある愛宕神社です。亀出神社は、寛文12年(1672)に亀戸出村(大島村)にあった霊巌寺領の鎮守として創建したといいます。水運のために竪川(首都高速7号線の下)が造られたため、亀戸村から切り離された当地周辺を亀戸出村と称していましたが、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿では、大島村項に、愛宕神社として記載されており、大島村・大島町の鎮守として記載されています。また霊巌寺領であったことから、念仏堂が当社近くにあったといい、現在も子育地蔵尊が安置されています。昭和48年に、大島1-37に鎮座していた草分稲荷神社を当社境内へ遷座しました。

亀出神社
亀出神社の概要
社号 愛宕神社
祭神 火産霊命
相殿 -
境内社 草分稲荷神社
祭日 -
住所 江東区大島3-31-15
備考 旧大島村・大島町の鎮守



亀出神社の由緒

亀出神社は、寛文12年(1672)に亀戸出村(大島村)にあった霊巌寺領の鎮守として創建したといいます。水運のために竪川(首都高速7号線の下)が造られたため、亀戸村から切り離された当地周辺を亀戸出村と称していましたが、江戸時代後期に編纂された新編武蔵風土記稿では、大島村項に、愛宕神社として記載されており、大島村・大島町の鎮守として記載されています。また霊巌寺領であったことから、念仏堂が当社近くにあったといい、現在も子育地蔵尊が安置されています。昭和48年に、大島1-37に鎮座していた草分稲荷神社を当社境内へ遷座しました。

新編武蔵風土記稿による亀出神社の由緒

大島村
稲荷社(大島稲荷神社
愛宕社
共に村内及び大島町の鎮守なり。勝智院持。
念仏堂跡
霊巌寺領の内にて愛宕社の邊りを云。古へ霊巌寺の住僧松風起立し、其後珂碩和尚庵住せり。然るに洪水のために堂宇流失しかば、本尊以下悉く荏原郡奥沢新田に移せしと云。
(新編武蔵風土記稿より)

「江東区の民俗城東編」による亀出神社の由緒

愛宕神社(亀出神社)
『南葛飾郡神社要覧』によれば、創立は寛文一二年(一六七二)であり、霊巌寺領の鎮守であったという。『新編武蔵風土記稿』巻之二五によれば、愛宕社周辺を念仏堂跡といい、古くは霊巌寺の住僧松風が起立し、その後、珂碩和尚が住む。洪水のために堂宇が流出したため、荏原郡奥沢村に移転したという。『大島町誌』によれば、奥沢浄真寺には、珂碩上人が常念仏で用いた接待茶釜が残されその銘には「奉寄進鑵子一口。為二親菩提。寛文八年霜月廿五目常念仏九百日。武州豊島郡葛西荘大島村常念仏堂什物。沙彌浄心」とあるという。奥沢への移転は延宝六年(一六七八)である。愛宕神社境内に地蔵像が数体残され、享保一〇年(一七二五)銘の供養塔には亀戸出村講中と彫られている。愛宕神社周辺を亀戸出村と称していた名残である。竪川が万治三年(一六六〇)に掘られた際に、亀戸村から切り離されたためにこのような地域名を唱えるようになったと思われる。氏子としては、江戸時代は大島村・大島町の鎮守であり、現在は亀出東部陸会でお守りしている。(「江東区の民俗城東編」より)


亀出神社の周辺図


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