目黒不動瀧泉寺|目黒区下目黒にある天台宗寺院

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目黒不動瀧泉寺|関東最古の不動霊場、日本三大不動、江戸五色不動

目黒不動瀧泉寺の概要

天台宗寺院の目黒不動瀧泉寺は、泰叡山と号します。龍泉寺は大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられ、関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられます。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺[現天王寺])の一つに数えられたといいます。

目黒不動瀧泉寺
目黒不動瀧泉寺の概要
山号 泰叡山
院号 -
寺号 瀧泉寺
住所 目黒区下目黒3-20-26
宗派 天台宗
葬儀・墓地 -
備考 目黒不動、江戸五色不動関東三十六不動18番、江戸三十三観音霊場33番、東京三十三観音霊場3番、山手七福神の恵比寿神



目黒不動瀧泉寺の縁起

目黒不動瀧泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したと伝えられています。関東最古の不動霊場として、熊本の木原不動尊、成田山新勝寺の成田不動尊と併せて 日本三大不動の一つに上げられます。江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の保護を受け、江戸五色不動の目黒不動、江戸の三富(当寺と、湯島天神、谷中感應寺(現天王寺)の一つに数えられたといいます。

天台宗泰叡山龍泉寺は、大同3年(808)に慈覚大師が開創したといわれ、不動明王を本尊とし、通称「目黒不動尊」と呼び親しまれています。
江戸時代には3代将軍徳川家光の帰依により堂塔伽藍の造営が行われ、それ以後幕府の厚い保護を受けました。また、江戸五色不動(目黒・目白・目赤・目黄・目青)の一つとして広く人々の信仰を集め、江戸近郊における有名な行楽地になり、門前町とともに大いに賑わいました。さらに江戸時代後期には富くじが行われるようになり、湯島天神と谷中感応寺(現天王寺)と並んで「江戸の三富」と称されました。
境内の古い建物は、戦災でその大半が焼失しましたが、「前不動堂」(都指定文化財)と「勢至堂」(区指定文化財)は災厄を免れ、江戸時代の仏堂建築の貴重な姿を今日に伝えています。
その昔、境内には「銅造役の行者倚像」、「銅造大日如来坐像」(ともに区指定文化財)があり、仁王門左手の池近くには「山手七福神」の一つの恵比寿神が祀られています。
裏山一帯は、縄文時代から弥生時代までの遺跡が確認され、墓地には甘藷先生として知られる青木昆陽の墓(国指定史跡)があります。(目黒区教育委員会)


目黒不動瀧泉寺所蔵の文化財

  • 青木昆陽墓(国指定史跡)
  • 龍泉寺前不動堂附扁額一面(東京都指定文化財)
  • 龍泉寺勢至堂(目黒区指定文化財)
  • 銅造大日如来坐像(目黒区指定文化財)
  • 銅造役の行者倚像(目黒区指定文化財)

青木昆陽墓(国指定史跡昭和18年5月1日指定)

江戸中期の儒者。通称は文蔵。元禄11年(1698)に生まれ、京都の儒者伊藤東涯に学ぶ。幕臣大岡忠相の知遇を得て幕府に仕え書物方となり、のち評定所儒者・書物奉行となる。
彼は八代将軍徳川吉宗の命により蘭学を学び、長崎に遊学し、「和蘭文字略考」「和蘭貨幣考」「和蘭語訳」などを著述する。また「蕃薯考」を著し、救荒作物として甘藷の栽培を奨励したために”甘藷先生”と呼ばれた。一方、幕命によりしばしば関東・東海地方に出向き古文書を調査・収集した。明和6年(1769)歿。行年72歳

龍泉寺前不動堂附扁額一面(東京都指定文化財昭和41年3月31日指定)

「江戸名所図会」天璣之部、目黒不動堂の条に、現位置附近に「前不動」として図示されている。扁額「前不動堂」には「佐玄竜書」の署名があるが、筆者佐々木玄龍は通称万次郎、池庵を号する。慶安3年(1650)江戸に生まれ、書風一家をなし、享保7年(1722)歿した。この扁額は堂建立当時のものと思われる。
龍泉寺本堂前石階の下、独鈷滝の左の崖下にあり、内には本尊木造不動明王立像などを安置し庶民信仰の便を計ったものと思われ、江戸時代中期の仏堂建築として比較的よく旧規を保っている。

龍泉寺勢至堂(目黒区指定文化財昭和59年3月31日指定)

龍泉寺勢至堂は江戸時代中期の創建とみられ、勢至菩薩像が安置されています。建築各部にわたって後世の改変が甚だしいですが、全体的な形姿や細部絵様に優れた意匠の特質を保存しており、その姿に寛永中興期の龍泉寺の面影を残しています。
向かって右の前不動堂(都指定文化財)との関連をみると、勢至堂は前不動堂より建築意匠上の格は低いものの、細部に類似性が見られることから、勢至堂は前不動堂の建立からそれほど時間のたたない内に、前不動堂を意識して造営されたと推察できます。
現在の場所は創建当初からのものではなく、以前は前不動堂の前方にありましたが、昭和44年に行われた前不動堂の修理後に移されました。今では南斜面の緑の中に溶け込み、龍泉寺境内の優れた景観を形成しています。

銅造大日如来坐像(目黒区指定文化財昭和59年3月31日指定)

蓮華座に結枷趺坐しているこの坐像は宝髪、頭部、体躰、両腕、膝等十数ヶ所に分けて鋳造し、それを寄せて一体とした吹きよせの技法で造られています。総高385cm、座高281.5cm、頭長は121cmで、体躰にくらべ頭部を大きく造るのは大仏像共通の特色であり、面相も体躰も衣文表現もよく整っています。
現在は露座となっていますが、「江戸名所図会」の目黒不動堂の挿図より、江戸時代には堂舎の中にあったことがわかります。
台座の蓮弁には開眼の年、入仏開眼供養の際の導師や僧侶の歴史が刻まれると共に、多数の施主名と供養者名が見えることから、大衆による造像だったことがうかがえます。また、刻銘から制作年の天和3年(1683)と制作者が江戸に住む鋳物師横山半右衛門尉正重であることがわかることも貴重です。

目黒不動瀧泉寺のもと末寺


目黒不動瀧泉寺の周辺図