鷺宮八幡神社|中野区白鷺の神社

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鷺宮八幡神社|陸奥守源頼義が源氏の隆昌を祈願、上鷺ノ宮村・下鷺ノ宮鎮守

鷺宮八幡神社の概要

鷺宮八幡神社は、中野区白鷺にある八幡神社です。康平7年(1064)陸奥守源頼義が東国征伐の後鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられます。当地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称されました。慶安2年(1648)には江戸幕府より社地7石余の御朱印状を拝領しています。

鷺宮八幡神社
鷺宮八幡神社の概要
社号 八幡神社
祭神 応神天皇
相殿 -
境内社 稲荷神社、御嶽神社、八雲神社、北野神社、粟島神社、疱瘡神社
祭日 例大祭8月
住所 中野区白鷺1-31-10
備考 旧上鷺ノ宮村・下鷺ノ宮鎮守



鷺宮八幡神社の由緒

鷺宮八幡神社は、康平7年(1064)陸奥守源頼義が東国征伐の後鎌倉街道に面した当地に源氏の隆昌を祈願して創建したと伝えられます。当地には鷺が多く生息していたことから、鷺宮八幡、鷺宮大明神と称されました。慶安2年(1648)には江戸幕府より社地7石余の御朱印状を拝領しています。

新編武蔵風土記稿による鷺宮八幡神社の由緒

八幡社
除地、60坪余、南の方下鷺ノ宮村境にあり、上下両村(上鷺ノ宮村・下鷺ノ宮村)の鎮守なり。神領御朱印7石余を附せらる。本社4尺に1間南向、拝殿3間半に2間。神体は木の立像にて衣冠を着し、馬上に跨りたる形なり。長1尺5寸、外に本地十一面観音木の立像長2尺5寸なるを安す。前に石にて作れる鳥居をたつ。古は大木数多ありて多くの鷺やどりしゆへ、土人鷺ノ森或は鷺ノ宮などいへり。されば古社なるべけれど、社傳を失ひたれば其詳なることをしらず。別当は福蔵院なり。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による鷺宮八幡神社の由緒

当社の創建は康平7年(1064)陸奥守源頼義勅を奉じ、東国平定後鎌倉街道に面した当地に社殿を建て、八幡神の御神霊を奉祀し戦勝感謝国家安泰、源氏の隆昌を祈願したのが始めであると伝えられる。往昔境内に老樹、林立し鷺が多く棲んでいたので、里人は鷺宮大明神と称し、これが地名の起因になった。正保2年(1645)今川直房所領の折、八幡神社と改称した。慶安2年(1648)以降江戸幕府より御朱印7石余を寄進せられ、中野区内に於て、御朱印を付与された唯一の神社で崇敬厚き古社である。戦後宗教法人法により発足し、昭和25年国有境内地3462平方メートル(1049坪)の譲与を受け、同35年本殿、幣殿・拝殿50坪天地改築、及手水舎改築、明治100年記念事業として、同40年御嶽神社、同42年稲荷神社を堂舎境内に合併改築、同年神楽殿改築、参集殿新築、石塀設置、同50年天皇陛下御在位50年記念、狛犬設置、同56年本殿・幣殿屋根葺替え改修、同63年天皇陛下御在位60年記念事業として、社殿改修、常夜燈設置等神社の面目一新し、今日に至っている。(境内掲示より)

東京都神社名鑑による鷺宮八幡神社の由緒

当社の創建は康平七年(一〇六四)陸奥守源頼義勅を奉じ、東国平定後鎌倉街道に画した当地に社殿を建て、八幡神の御神霊を奉祀し、戦勝感謝国家安泰、源氏の隆昌を祈願したのがはじめであると伝えられる。往昔境内に老樹林立し、鷺が多く棲んでいたので、里人は鷺宮大明神と称し、これが地名の起因になった。正保二年(一六四五)今川直房所領のころ、八幡神社と改称した。慶安二年(一六四八)以降江戸幕府よ功御朱印七石を寄進せられ、中野区内において御朱印を付与された唯一の神社で、崇敬厚き古社である。(東京都神社名鑑より)


鷺宮八幡神社の周辺図