石神井神社|練馬区石神井町の神社

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石神井神社|地名石神井の起源となった石剣(石神)

石神井神社の概要

石神井神社は、練馬区石神井町にある神社です。石神井神社の創立年代等は不詳ながら、地名石神井の起源となった石剣(石神)を祀っています。石神を井(三宝寺池か?)から掘り出したことから、石神井と呼ばれるようになったといいます。

石神井神社
石神井神社の概要
社号 石神井神社
祭神 少彦名命
境内社 稲荷神社
相殿 -
住所 練馬区石神井町4-14
備考 -



石神井神社の由緒

石神井神社の創立年代等は不詳ながら、地名石神井の起源となった石剣(石神)を祀っています。石神を井(三宝寺池か?)から掘り出したことから、石神井と呼ばれるようになったといいます。

練馬区教育委員会掲示による石神井神社の由緒

石神井神社の由来は古く詳らかではありませんが、四神地名録・新編武蔵風土記稿など江戸の地誌には「石神の神社と号せる僅なる小社有り。神体は石にて神代より以前の石剣なり」とあります。いずれにしてもこの「石神の井」が石神井の地名の起こりとなったと思われます。
本社の祭神は少彦名命でありますが、石剣もまた本殿の奥深く御神体として奉祀されております。境内末社には稲荷神社があります。
拝殿内には明治初期以降の大絵馬十数枚が奉納されています。保存が大変良く、破損や彩色の剥落は殆んどありません。江戸時代からつづいた中野の絵馬屋、鎌田東渓の作品二点があります。(練馬区教育委員会掲示より)

「練馬の神社」による石神井神社の由緒

創立年代不詳。「四神地名録」に「下石神井村、此村に石神の神社と号せる僅なる小社あり。神躯ハ石にて、神代より以前の石剣也。石剣之長サニ尺余、丸サ大キ所ニテ一尺色ウス青ク質至テカタク重キ事鉄ノ如シ。土人の云伝フ井をほりし時地中より出しと也。村名を石神井村と称せるも古しへよりの事といへば、定て故有りし事なるべし。」とあり、「新編武蔵風土記稿」下石神井村の項は「石神井社、是村名ノ由テ起リシ社ナリ。神躯ハ三宝池ヨリ出現セシ石剣なり。三宝寺持」と記す。
また、「北豊島郡誌」は「相伝ふこの石剣を掘り得たるものは豊田某といふ家系今に連綿す」と延べている。明治維新までは当社の崇敬者区域は、和田・北原・根が原・池渕の4字であったが、その後、各字に鎮守が祀られるようになり、北原だけとなった。(以下省略)(「練馬の神社」より)

「東京都神社名鑑」による石神井神社の由緒

年代不詳。神社の伝説によれば、石神井の地名起因の神社として「往昔井を穿ちし時、土中より長さ二尺二寸、周囲一尺四寸の石劔を掘出し、里人は井戸神、石神よと尊敬崇拝し、此処に一社を造営して石神井神社と称し、郷の名を石神井と呼び今日に及ぶ」との伝説と誇りを持つ、史実的香りの深い神社である。また『新編武蔵国風土記稿』によれば、「石神井社是村名の依て起りし社なり。神体は上石神井村三宝寺池より出現せし石劔なり。三宝寺持」とあり、明治維新ころまでの当社崇敬者区域は字名和田・北原・根ヶ原・池渕の四字であったが、現在は北原住民のみ崇敬者としてこれを奉斎する。『夢跡集』には、「此石劔を掘得たる者は豊田某という家系にて、今に連綿す。里人呼ぶに石神を以てす」とあり、この通称石神の家、いまなお神社の裏に現存する。社殿は明治十六年建築し、昭和五十四年社務所改築、同五十五年十月に、末社榛名神社を本殿に合祀した。(「東京都神社名鑑」より)


石神井神社の周辺図

参考資料

  • 「練馬の神社」(練馬区教育委員会)
  • 「東京都神社名鑑」