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妙安寺|練馬区旭町にある日蓮宗寺院

妙安寺の概要

日蓮宗寺院の妙安寺は、長久山と号します。妙安寺は、駿河蓮永寺の日雄上人(元和元年1615没)開山、は板倉伊賀守勝重(寛永元年1624没)が開基となり、創建したといいます。

妙安寺
妙安寺の概要
山号 長久山
院号 -
寺号 妙安寺
住所 練馬区旭町3-10-11
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



妙安寺の縁起

妙安寺は、駿河蓮永寺の日雄上人(元和元年1615没)開山、は板倉伊賀守勝重(寛永元年1624没)が開基となり、創建したといいます。

「練馬の寺院」による妙安寺の縁起

「新編武蔵風土記稿」によれば「妙安寺 同宗(法華宗)。駿河国蓮永寺未。長久山ト号ス。本尊釈迦。開山日雄ハ元和元年九月寂。当寺ハ板倉阿波守ノ先祖四郎兵衛ト云モノ開基ナリ。此人寛永二年八月卒シ。法名狭山源英ト号スト云。按二板倉家譜ニ。伊賀守勝重。少名四郎右衛門ト称ス。寛永元年四月二十九日卒シ。法名慈光院傑山瀬英ト見ユ。是年月法号トモ異同アレド。略年代等相似タレバ。若クハ勝重ガコトニシテ。寺伝タマタマ誤レルニヤ。」 とある。
板倉勝重は徳川家康に随従して関東に入国した。たまたま駿河の蓮永寺貫主日雄上人が江戸巡錫の時、その学徳を慕ってここに一大殿堂を建立し、上人を開山と仰ぎ、徳川家の武運長久の祈願所として長久山妙安寺と号した。そして八町の土地を寺領とし、伽藍相続のもとでとした。第五代日達上人の時、寺領没収の難にあい、第六代目住上人が東奔西走して、復旧を図り、ようやくその大半を取り戻した。第三十代日応上人の時は火災にあい、堂宇、庫裏などほとんど焼失したが、明治三十三年(一九〇〇)に現在の本堂、三十八年(一九〇五)に山門が竣工した。
当寺は川越街道から白子道を少し南に入った白子川の谷地にある。(練馬の寺院より)

練馬区教育委員会掲示による妙安寺の縁起

妙安寺は日蓮宗の寺院で、山号を長久山といいます。開山は駿河蓮永寺の日雄上人(元和元年1615没)、開基は板倉伊賀守勝重(寛永元年1624没)と伝えます。
勝重は、徳川家康江戸入府以前からの重臣で、天正十四年(1586)駿府町奉行を勤めましたが、日雄上人とは親交も厚く、その学徳を深く尊崇しておりました。家康入府後、勝重はこの辺りを知行したので、早速上人を招いて当山を創建したものと思われます。広大な寺領を寄進し、徳川家の武運長久を祈願して長久山と名付けたといいます。
明治半ば、火災により堂宇ことごとく焼失しましたが、同三十三年(1900)本堂再建、三十八年山門も竣工しました。
本堂手前の板碑形題目碑は八世日如上人(享保19年1734没)の代に造立された貴重な石造物です。また山門前には文化八年(1811)の題目碑、文政十年(1827)の見上げるような宝篋印塔などがあります。(練馬区教育委員会掲示より)


妙安寺の周辺図


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参考資料
  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)