夏雪山能満寺|練馬区旭丘にある真言宗豊山派寺院

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夏雪山能満寺|板橋七福神、豊島八十八ヶ所霊場

能満寺の概要

真言宗豊山派寺院の能満寺は、夏雪山広原院能満寺と号します。僧源心(承応2年1653年没)が、当地に創建したと伝えられます。豊島八十八ヶ所霊場61番札所、板橋七福神の寿老人です。

能満寺
能満寺の概要
山号 夏雪山
院号 広原院
寺号 能満寺
住所 練馬区旭丘2-15-5
宗派 真言宗豊山派
葬儀・墓地 -
備考 豊島八十八ヶ所霊場61番札所、板橋七福神の寿老人



能満寺の縁起

能満寺は、僧源心(承応2年1653年没)が、当地に創建したと伝えられます。

「練馬の寺院」による能満寺の縁起

新編武蔵風土記稿によると「能満寺、同宗。西新井総持寺末。夏雪山広原院ト号ス。本尊不動。開山源心。承応2年3月21日寂ス」とある。
「当寺縁起」によると、「昔、夏に雪が降って美しい景色の地があると聞いた源心僧都が、武蔵野に来て、村民のために仏教を説き、村民より篤く信望を得た。そこで堂宇を創建し、不動明王を安置して本尊とし、名づけて夏雪山能満寺とした・のち数台を経て火災にあい、庫裡の一部を焼失したが、天明6年(1786)11月、11世克龍がこれを再建し、あわせて大日堂を造営した」とある。
明治初期の廃仏毀釈の頃には無住の時代もあり、文書類一切、亡失している。
過去帳には宝暦年間(1751-64)から記載されている。
墓石は宝永5年(1708)が最も古い。なお参道入口には千川上水が暗渠となる際に当寺に移された通称千川地蔵(延命地蔵)が小さな祠に安置されている。
また、明治年間まで本寺があった所在地名(北豊島郡上板橋村字江古田新田)をしのぶことができるものとして、「板橋七福神の寿老人」がまつられている。
平成15年(2003)に本堂が建て替えられた。(「練馬の寺院」より)


能満寺の周辺図

参考資料

  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)