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教学院|練馬区大泉町にある真言宗智山派寺院

教学院の概要

真言宗智山派寺院の教学院は、西円山と号します。教学院は、文永5年(1268)長全法印が永福寺として北方の丸山に開山、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山したといいます。江戸時代中期に三宝寺の末寺となり、当地に移転、西円山教学院と改称したといいます。豊島八十八ヶ所霊場46番札所です。

教学院
教学院の概要
山号 西円山
院号 教学院
寺号 -
住所 練馬区大泉町6-24-25
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音菩薩
葬儀・墓地 大泉橋戸会館は、練馬区指定斎場として葬儀利用可能
備考 豊島八十八ヶ所霊場46番札所



教学院の縁起

教学院は、文永5年(1268)長全法印が永福寺として北方の丸山に開山、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山したといいます。江戸時代中期に三宝寺の末寺となり、当地に移転、西円山教学院と改称したといいます。

練馬区教育委員会掲示による教学院の縁起

教学院は、山号を西円山といい、真言宗智山派(豊島八十八ヶ所霊場第46番札所)のお寺で本尊は十一面観世音菩薩です。
寺伝によりますと、文永5年(1268)長全法印により開山され、その後正平9年(1354)児玉郡本庄城主の荘弘泰、弘朝父子が武蔵野合戦の後橋戸村に土着し、当寺を菩提寺としました。その後永い間衰微していたのを、永禄3年(1560)良賢法印が中興開山となって復興したといわれています。
明るい墓地には江戸初期からの荘氏累代の五輪塔や、宝篋印塔があります。また付近にあって廃寺となった真福寺歴代住職の墓もあります。
境内には荘氏由緒碑や馬頭観音、奪衣婆、閻魔、十王像と壇拏幢(区登録文化財)は閻魔王の人頭杖を模したもので、元禄3年(1690)橋戸村の荘氏が造立したものです。

「練馬の寺院」による教学院の縁起

「新編武蔵風土記稿」によると「教学院、境内除地1町四方村内ニアリ。新義真言宗。豊島郡石神井村三宝寺ノ末。西円山ト号ス。文永5年(1354)長全法印開山ス」とある。さらに寺記によると正平9年(1354)児玉郡本荘城主荘左衛門弘泰、弘朝父子が武蔵野合戦後当所ニ土着し、当寺を檀那寺とし、有力な檀徒となった。その後長い間衰えていたが、前記「風土記稿」に「中興開山ハ良賢法印と云ヘドモ、其時代詳ナラズ」とあり、寺記によると永禄3年(1560)良賢法印が復興したとある。開山当初は永福寺と号し北方の丸山に在ったが、江戸中期に三宝寺の末寺となり、(享保14年の三宝寺末寺名簿に記載)西円山教学院と改称した。その間丸山より現在地に移ったようである。昭和16年に三宝寺との本末関係はなくなり独立した。
建造物はいずれも大正年間以後に改築し、現在のような規模になったのは昭和に入ってからで、特に平成の大改修で整備された。墓地にはかつての有力者荘氏累代の五輪塔、宝篋印塔などがあり古い歴史を物語っている。梵鐘は香取正彦(人間国宝)作。
なお当寺は明治6年(1873)3月、7小区の開校事務をとった場所である。(「練馬の寺院」より)


教学院所蔵の文化財

  • 閻魔、十王像と壇拏幢(練馬区指定文化財)

教学院の周辺図


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参考資料
  • 練馬の寺院(練馬区教育委員会)