猫の足あとによる大田区の寺院、神社など大田区の寺社案内 猫の足あとによる大田区の寺院、神社など大田区の寺社案内
猫の足あと

永寿院|大田区池上にある日蓮宗寺院

永寿院の概要

日蓮宗寺院の永寿院は、不変山と号します。戸川肥後守から下屋敷の寄進を受けた池上本門寺16世日遠聖人が開基となり、池上本門寺17世日東聖人(蓮乗院)が堂宇を建立したといいます。紀州家初代徳川頼宣の娘(芳心院殿)の帰依により、永寿院と改称したといいます。

永寿院
永寿院の概要
山号 不変山
院号 永寿院
寺号 -
住所 大田区池上1-19-10
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 -



永寿院の縁起

永寿院は、戸川肥後守から下屋敷の寄進を受けた池上本門寺16世日遠聖人が開基となり、池上本門寺17世日東聖人(蓮乗院)が堂宇を建立したといいます。紀州家初代徳川頼宣の娘(芳心院殿)の帰依により、永寿院と改称したといいます。

池上の寺めぐりによる永寿院の縁起

永寿院
寛永十九年(1642)以前の開創。備中庭瀬藩主戸川逵安が本門寺十六世日遠聖人に帰依して自らの下屋敷五千坪を聖人の隠棲地として寄進し、日遠聖人の弟子日東聖人(本門寺十七世)により堂宇が完成した。当初は日東聖人の院号にちなみ蓮乗院とよばれた。その後、お万の方の孫芳心院(紀州家初代徳川頼宣の娘、鳥取藩主池田光仲の妻)の帰依を受け、永寿院と改称。宝永五年(1708)に没した芳心院の墓所は「万両塚」とよばれている。(池上の寺めぐりより)

新編武蔵風土記稿による永寿院の縁起

永寿坊
御廟山の南方にあり。もと蓮乗院と呼ぶ。両山第十六代日遠上人の開基なり。その地はもと檀越戸川肥後守が下屋敷なり。日遠隠室造立のために寄附せし所なり。しかるに紀州南龍院殿の御実母養珠院殿大野本遠寺、紀州養珠寺の御建立あって、開山に日遠上人を招待せられけるにより、日遠は本門寺を弟子日東へ譲り、且当所庵室造立のことを託す。よって蓮乗院日東当院を立、故に人呼で蓮乗院といふ。後当院第六世日秀の時養珠院殿の御帰依ありし日遠の開基なるを以て、南龍院殿の御愛女因幡守光仲室、芳心院殿帰依し給ひ、その弟子永寿丸と申せしが多病なりしを、本門寺の祖師へ祈請をたて、もしつつがなく生長あらんには出家なさしむべしとありしに、其願むなしからず、人と也けれど、其剃髪を惜み永寿丸の代として観成院日遥を猶子とし、やがて当院へ住職せしめたり。其時芳心院殿より永寿院の号を賜へり。これ永寿丸を出家なさしむべしとの、願望にそむかざるの心とぞ聞えける。さて又芳心院殿より、寺院永代相続の料として米十二石と、月俸若干を寄附せらる。又紀州殿よりも月俸を賜へりとぞ。されば当院は戸川肥後守を開基の大旦那とし、芳心院殿を中興開基とす。本尊三寶祖師を客殿に安置す。又芳心院殿感得の立像釈迦佛あり。その絵日遠、日東等の曼荼羅数幅あり。(新編武蔵風土記稿池上本門寺項より)


永寿院の周辺図


大きな地図で見る