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照栄院|大田区池上にある日蓮宗寺院

照栄院の概要

日蓮宗寺院の照栄院は、朗慶山と号します。照栄院は、正応4年(1291)日朗聖人の庵室として創建、日鏡上人が中興したといいます。寛文四年(1664)には加藤清正の娘瑶林院が、夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して妙見菩薩立像を当院に奉納した他、元禄年間(1688-1704)には当院内に南谷檀林が開設され、檀林所となっていたといいます。大坊本行寺理境院と共に池上三院家の一つです。

照栄院
照栄院の概要
山号 朗慶山
院号 照栄院
寺号 -
住所 大田区池上1-31-10
宗派 日蓮宗
葬儀・墓地 -
備考 池上本門寺末の池上三院家



照栄院の縁起

照栄院は、正応4年(1291)日朗聖人の庵室として創建、日鏡上人が中興したといいます。寛文四年(1664)には加藤清正の娘瑶林院が、夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して妙見菩薩立像を当院に奉納した他、元禄年間(1688-1704)には当院内に南谷檀林が開設され、檀林所となっていたといいます。大坊本行寺理境院と共に池上三院家の一つです。

池上の寺めぐりによる照栄院の縁起

照栄院
正応四年(1291)日朗聖人の庵室として開創。日朗聖人没後荒廃したが、嘉吉年間(1441-1444)に再興された。元禄二年(1689)南谷檀林という僧侶教育の学校を開設、明治二年(1869)に廃されるまで多くの高僧を送り出した。本門寺の役寺としての三院家の一。山上の妙見堂に祀られる妙見菩薩立像は寛文四年(1664)加藤清正の娘瑶林院が夫の紀州徳川頼宣の現世安穏後世善処を祈念して奉納したもの。(池上の寺めぐりより)

新編武蔵風土記稿による照栄院の縁起

南谷檀林照栄院
南の谷にあり。ここを寺窪と云り。日朗聖人幽栖の跡なり。元應二年正月遷化の後、六十年来紹続する人なきにより、殆ど荒涼に及べり。然るに本山第七世日寿上人のとき、日鏡上人かの日朗師舊蹟の空く泯没せんことをなげき、再び草蘆を興して日朗を開祖とせり。しかりしより此かた十六世にして、本山第二十二世日玄上人のとき、元禄二年四月鎌倉比企谷寶篋堂檀林を此地に移して、南谷檀林と呼び朗慶山立善講寺と号せり。故に檀林の歴代の日玄上人を開祖として、今六十五代にをよべり。三院家のその一なり。
門。南に向ふ前に石階あり。この所より本門寺門前石川流の傍に至るまで数百歩の間は、檀林の門前にて左右に学寮あり。その入る処は西に向ひて常宣坊の門に並べり。
講堂。則照栄院の本堂なり。九間に七間、立善講寺の四字を扁す。本尊釈迦佛及び持国毘沙門の像を安ず。鳥居左京太夫の建立せし所なり。又有章院殿の御位牌を安ず。これは其乳母満智院日景妙徳尼有章院殿御菩提のために檀林相続の料として、黄金そこばくを寄附せしゆへなり。堂の四面に所化年﨟の次第を掲ぐ。開闢以来衆僧つどひて夏冬の講究をこたらずと云ふ。
鎮守堂。東の方山上に在。妙見大士を安ず。傍に書して云。祈請紀伊国大守亜相頼宣卿之、現安後善而奉造立之、于時寛文四年甲辰七月と有。
玄寮。講堂より東南にあたりて山下にあり。檀林の學業を司るもの居れり。
板頭寮玄寮の側にあり。或は板寮とも号す。この寮主すべて檀林寮仲修造以下の俗事つかさどれり。(新編武蔵風土記稿池上本門寺項より)


照栄院所蔵の文化財

  • 南谷檀林の棟札(大田区指定文化財)
  • 南谷檀林「板頭寮」遺構(大田区指定文化財)
  • 照栄院文書(大田区指定文化財)
  • 日朗聖人坐像(大田区指定文化財)
  • 三宝尊像(大田区指定文化財)

南谷檀林の棟札

南谷檀林は、元禄期(1688-1704)に池上本門寺に附属する僧侶の学校として二二世日玄によって開設された。
檀林の施設は、現存する板頭寮のほかに、講堂や学僧の寮等の諸施設が建てられ、整備された寺観を有していたという。
この「棟札」は、建築、修復の年代等を伝える十三枚が残されており、すべて本尊(大曼荼羅)形式で書かれている。
これらから、講堂は元禄元年(1688)に建立され、寛政六年(1794)再建され、嘉永元年(1848)に屋根が葺き替えられたこと等がわかり貴重な資料である。(大田区教育委員会掲示より)

南谷檀林「板頭寮」遺構(大田区指定文化財)

南谷檀林は、池上本門寺に附属する僧侶の学校として、元禄期(1688-1704)に、本門寺の南方(寺窪、南窪と称せられる地)に開創された。
「新編武蔵風土記稿」によれば、檀林は、講堂、方丈、玄寮、板頭寮、首座寮、所化寮、談合場、食堂、妙見堂等の施設を備えていた。
「板頭寮」は、檀林の事務所にあたり、板頭(事務経営の長)の居室でもあった。
現存している建物は、天保七年(1836)、江戸後期に再建され、池上山内の木を用いて建てられたと伝えられる。
現在、屋根は草葺きの保護のため上から銅板で覆う等、当院の庫裏(寺の台所、居室)として利用されてきたため、一部改造が行われている。(大田区教育委員会掲示より)

照栄院文書(大田区指定文化財)

古文書二十七点
古記録二点
大曼荼羅三十九点
勧募講金本尊八点
絵画七点
当院は、本門寺二世日朗の庵室で、正応四年(1291)に開創されたと伝えられる。
元禄期(1688-1704)に、僧侶教育のため池上南谷檀林が開設された。いつのころからか大坊本行寺理境院と並んで本門寺塔頭三院家の一つとなり、重要な役割を果たした。
南谷檀林に関する史料をはじめ、貴重な資料が多く伝存している。(大田区教育委員会掲示より)

日朗聖人坐像(大田区指定文化財)

木造寄木造、彩色、玉眼、像高五十センチ。
当院の開山、本門寺二世日朗(1243-1320)の像である。
像底の銘文により、元和七年(1621)に造られ、本門寺十六世の日樹により開眼されたことがわかる。
区内に現存する開山像の中でも最古に属するもので、また「不受不施派」の中心人物であった日樹の自筆銘文が書かれた像としても注目に値する。
近年、補修彩色が行われ、像底の下部が半分ほど塗りつぶされ、銘文が判読できなくなってしまったのは惜しい。(大田区教育委員会掲示より)

三宝尊像(大田区指定文化財)

寄木造、彩色、玉眼。
「南無妙法蓮華経」の題目の宝塔を中央に、その左側に多宝如来坐像、右側に釈迦如来坐像を配置している。日蓮宗の本尊のまつり方のひとつで、一塔両尊と呼ばれる形式のものである。
台座裏に記された銘文によると、天正三年(1575)、月村入道宗観の逆修供養のため造像されたもので、月村家の菩提寺である当院六世日説が開眼したことがわかる。近年まで同家の内仏として伝えられてきた。(大田区教育委員会掲示より)

照栄院の周辺図


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