龍眞寺。上尾市菅谷にある曹洞宗寺院

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

菅谷山龍眞寺。釈迦三尊と、脇侍達磨大師・招宝七郎大権修利菩薩

龍眞寺の概要

曹洞宗寺院の龍眞寺は、菅谷山と号します。龍眞寺は、無純公庵主が開基となり、妙厳寺3世喜翁悦(永禄7年1564年寂)が開山したといいます。当寺の本尊木彫釈迦三尊坐像と、脇侍の木造達磨大師坐像・招宝七郎大権修利菩薩倚像は市の有形文化財に指定されています。

龍眞寺
龍眞寺の概要
山号 菅谷山
院号 -
寺号 龍眞寺
本尊 釈迦如来像
住所 上尾市菅谷2-114
宗派 曹洞宗
葬儀・墓地 -
備考 -



龍眞寺の縁起

龍眞寺は、無純公庵主が開基となり、妙厳寺3世喜翁悦(永禄7年1564年寂)が開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による龍眞寺の縁起

(菅谷村)龍眞寺
曹洞宗、原市村妙嚴寺末、菅谷山と號す、本尊釋迦を安ず、開山喜翁悦永禄七年二月八日寂す。
十王堂。(新編武蔵風土記稿より)

「上尾の神社・寺院」による龍眞寺の縁起

「新編武蔵風土記稿」によれば、開山は喜翁悦で永禄7年(1564)2月8日寂。この僧は妙厳寺の3世である。開基は無純公庵主と位牌に記されている。(「上尾の神社・寺院」より)


龍眞寺所蔵の文化財

  • 木彫釈迦三尊坐像(上尾市指定有形文化財)
  • 木造達磨大師坐像・招宝七郎大権修利菩薩倚像(上尾市指定有形文化財)

新編武蔵風土記稿による龍眞寺の縁起

龍真寺の本尊は釈迦三尊像である。釈迦を中尊とし、脇侍は向かって右側に文殊菩薩、左側に普賢菩薩を配す。各像は、釈迦如来が像高34.5cm、台座39.3cm、文殊菩薩が高さ16.8cm、台座23.3cm、普賢菩薩が像高16.6cm、台座23.4cmである。3体とも檜の寄木造で、漆箔を施した坐像である。
この像の特徴は、釈迦如来が宝冠を付けた「宝冠如来」であり、密教の影響によるものと推測される。光背には、頭光の部分に後部から鏡をはめ込んである。
また、脇侍である文殊菩薩の背部と光背の裏に銘があり、これによると、享保三(1718)年一〇月二五日、檀家であった北川利右衞門が、亡き妻の菩提と自らの後世の供養のために釈迦三尊を造立・奉納したことが分かる。(上尾市教育委員会掲示より)

木造達磨大師坐像・招宝七郎大権修利菩薩倚像

達磨大師は、南インド出身で6世紀前半代に活躍し、中国に禅を伝えた禅宗の祖とされる。招宝七郎大権修利菩薩像は、元は別々に信仰されていた「招宝七郎」と「大権修利菩薩」が次第に同一視されたもので、主に禅宗寺院を守護する神、すなわち伽藍神の一つとされている。曹洞宗の寺院では、本尊の左側に達磨大師像、右側に宝七郎大権修利菩薩像を安置するのが一般的とされ、龍眞寺でも本尊の釈迦三尊の両脇に安置されている。
達磨大師坐像は、像高33.6cm、宝七郎大権修利菩薩倚像は像高38.2cmである。両像共に寄木造の玉眼で、胡粉を下地に全体が彩色されている。
両像の椅子の天板裏に残存する墨書銘によって、江戸時代中期の寛政五(1793)年に、地元住民が施主となり、七条仏師左京方に依頼して造立されたものであることが分かる。
七条仏師は、鎌倉時代を代表する仏師である運慶の流れをくむ、当時一流の仏師工房である。全体的な構成や、衣服・顔の表現などに鎌倉彫刻以来の伝統が脈々と受け継がれている。江戸時代中期においても、京の正統仏師の腕が確かなものであることを示す作例の一つで、市内に数多く残る江戸彫刻を代表する作品である。(上尾市教育委員会掲示より)

龍眞寺の周辺図


参考資料

  • 「新編武蔵風土記稿」
  • 「上尾の神社・寺院」(上尾市教育委員会)