徳圓寺。行田市門井町にある真言宗智山派寺院

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医王山徳圓寺。行田市門井町にある真言宗智山派寺院

徳圓寺の概要

真言宗智山派寺院の徳圓寺は、医王山瑠璃院と号します。徳圓寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によれば、正徳2年(1712)に太井村を太井村・門井村・新宿村・棚田村の四村に分村したといい、殊に門井村(太井村小名門井)については成田分限帳に永楽2貫文門井善八郎という名が残っているということから、戦国時代には集落が成立し、正徳2年(1712)年頃までには寺社が成立したものと推定できます。

徳圓寺
徳圓寺の概要
山号 医王山
院号 瑠璃院
寺号 徳圓寺
本尊 薬師如来像
住所 行田市門井町1-19
宗派 真言宗智山派
葬儀・墓地 -
備考 -



徳圓寺の縁起

徳圓寺の創建年代は不詳ですが、新編武蔵風土記稿によれば、正徳2年(1712)に太井村を太井村・門井村・新宿村・棚田村の四村に分村したといい、殊に門井村(太井村小名門井)については成田分限帳に永楽2貫文門井善八郎という名が残っているということから、戦国時代には集落が成立し、正徳2年(1712)年頃までには寺社が成立したものと推定できます。

新編武蔵風土記稿による徳圓寺の縁起

徳円寺
本尊薬師、医王山瑠璃院と号す。村内福聚院末なり。(新編武蔵風土記稿より)

境内石碑による徳圓寺の縁起

当山は医王山瑠璃院徳円寺と称し薬師如来を安置す。真言宗智山派に属し太井福聚院の末寺なれど創建は不詳なり。江戸後期に本堂焼失し上州の隠居寺を移築すと伝う。往時は諸講法会開かれ信者の帰依篤く大正初期には瓦葺とす。
昭和19年より五年間太井小学校の分教場を兼ぬるも近年老朽化し檀信徒挙げて本堂再建を発意す。ここに清風薫る本日落慶入仏の法儀を厳修し寺門隆昌檀信徒繁栄を祈念す。合掌(境内石碑より)


徳圓寺の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿