阿弥陀堂(如来堂)。行田市須加にある仏堂

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阿弥陀堂(如来堂)。長光寺の境外仏堂

阿弥陀堂(如来堂)の概要

阿弥陀堂(如来堂)は、行田市須加長光寺の境外仏堂で、阿弥陀如来像を祀った堂宇です。阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀如来は、当地の農民与右衛門が元禄3年(1690)に阿弥陀如来の金像を田畑から掘り出し、近郷近在の人々の信仰を集めたことから、当時の領主阿部氏が寛永寺内に堂宇を建立して安置、さらに桂昌院の眼病治癒に際して信仰を得たといいます。その後阿弥陀如来は水戸徳川家に渡っていましたが、寛政7年(1795)当地に返還され、阿弥陀堂が建立されたといいます。牛頭天王(八坂大神)社と稲荷社が新編武蔵風土記稿に記載されており、現在も阿弥陀堂境内に祀られています。

阿弥陀堂(如来堂)
阿弥陀堂(如来堂)の概要
管理者 行田市須加長光寺
名称 阿弥陀堂(如来堂)
住所 行田市須加4727-1
葬儀・墓地 -
備考 無量壽堂扁額は行田市指定文化財



阿弥陀堂(如来堂)の縁起

阿弥陀堂に安置されていた阿弥陀如来は、当地の農民与右衛門が元禄3年(1690)に阿弥陀如来の金像を田畑から掘り出し、近郷近在の人々の信仰を集めたことから、当時の領主阿部氏が寛永寺内に堂宇を建立して安置、さらに桂昌院の眼病治癒に際して信仰を得たといいます。その後阿弥陀如来は水戸徳川家に渡っていましたが、寛政7年(1795)当地に返還され、阿弥陀堂が建立されたといいます。

新編武蔵風土記稿による阿弥陀堂(如来堂)の縁起

(須加村)阿弥陀堂
證城寺持。縁起の略に此本尊は農民与右衛門なるもの、或時己が家の荒園を掘しに、三尊弥陀の金像を得たり。これ元禄3年4月23日のことにして、一体の重さ17貫目、此邊の農民参詣群集せしかば、領主阿部豊後守正武命を下して禁止し、其像を上野東叡山(寛永寺)内己が宿坊へ預けたりしを、医師田宮良安なるもの信心のあまり、御門主へ願上て山内信濃坂に安置せり。然るに桂昌院殿の御聞に達し御城内へ請したまひしを、故ありて水戸家へ傳はり、寛政7年再び当村へ遷移し、堂を建立して安ぜり。其故をもて今に年々、水戸家より佛餉米を寄附ありと云。
牛頭天王社。
稲荷社。
鐘楼。元禄13年鋳造の鐘をかく。(新編武蔵風土記稿より)

境内掲示による阿弥陀堂(如来堂)の縁起

阿弥陀堂縁起
別当如来堂 天台宗 江戸上野東叡山(寛永寺)御末 本尊阿弥陀如来 高さ1尺2寸
此れ阿弥陀仏は、当村百姓与右衛門と言える者の 庭の中に雪降れども積もらず、ただ折々光明を放つことあり。堀り見るに此れ如来を出せり。これ元禄3年4月23日(1690)こと
依て、忍城主阿部豊後守正武候に訴へ、候の屋敷に置きしところ又又光明を放つことあり。
然るにこのこと、五代将軍綱吉候の生母桂昌院の御聴に達し、上野信濃坂御坊内に堂宇を建立し安置する。時に桂昌院殿御眼を煩わし、眼科熟練の薩州藩 田宮良安一山なる者により種々と手を尽くすが験なくされば詮方なき思いしが日頃念じている此如来をば朝暮ただ一心に念じれば、必ず叶うべしと願上す。或る夜 院殿の御枕もとに如来立ち出でて、元の出現地忍領須賀村へ安置せよとの御告げありと見て御夢覚める。有難く思召され早速当地に若干の田地を寄附し寛政7年(1795)に遷移し堂宇を建立せり。
其故をもって年々水戸家より仏餉米の寄附給わったと伝えられる。それより不思議にも院殿忽ち御平癒あり。此時、医一山も力及ばざるを感じ、且つ如来の利益著しきを信仰し職を退き、当地に住し、堂の開山をなし後遂に此地に寂し一山様「九九一山居士」として奉られ、阿弥陀如来と共に人々に信仰された。殊に祭祀には近在近郷の善男善女はもとより、旅人、はたご大黒屋に宿し、堂内にこもり連座し念珠を手に念仏を唱え、無病息災・家内繁盛を願上す。如来又信州善光寺と同体なりと言う。
縁日12月11日
什宝「文化財」
扁額無量壽堂、阿部正識候筆
扁額阿弥陀堂、薩摩中将貴候の寄進琉球中王筆
本尊厨子壇、桂昌院寄進
仏駕籠簾、桂昌院寄進
念珠、善男善女
一山堂句碑、「芭蕉の句」あの雲は稲妻を待つたより哉
陰、文久2年正月吉日当初連、現在長光寺曲山
鰐口・梵鐘、第二次大戦供出
新編武蔵風土記稿
東叡山弥陀堂記
御曼陀羅、失不明(境内掲示より)


阿弥陀堂(如来堂)所蔵の文化財

  • 無量壽堂扁額

無量壽堂扁額

元禄3年(1690)、近くの農家の庭から阿弥陀三尊が掘り出され近郷近在の人々の信仰を集めた。後に江戸で将軍綱吉の生母・桂昌院の信仰を得たが、須加に帰りたいとの願いにより堂が建立されたという。
この扁額は、忍城主阿部正識の書になるもので、かつてこの地で広く信仰された阿弥陀信仰の資料として、また正識の数少ない作品としても貴重である。(行田市教育委員会掲示より)


阿弥陀堂(如来堂)の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿