金蔵寺八耳堂。飯能市有形文化財の宝篋印塔、別称太子堂
金蔵寺八耳堂の概要
真言宗智山派寺院の金蔵寺八耳堂は、真言宗智山派金軸山無量院金蔵寺の境外仏堂で、太子堂とも通称されます。保元年間(1156-1158)に創建されたと伝えられ、現在の堂宇は文政3年(1820)に再建されたものと伝えられています。堂宇横には、飯能市有形文化財に指定されている宝篋印塔が置かれています。また奥には軍太利神社があり、大河原氏が城砦として使用したとされる龍涯山に続きます。
山号 | 金軸山 |
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院号 | 無量院 |
寺号 | 金蔵寺 |
本尊 | 聖徳太子像 |
住所 | 飯能市大河原582 |
宗派 | 真言宗智山派 |
葬儀・墓地 | - |
備考 | 金蔵寺の境外仏堂 |
金蔵寺八耳堂の縁起
金蔵寺八耳堂は、保元年間(1156-1158)に創建されたと伝えられます。大河原四郎の菩提寺として建仁年間(1201-1204)に創建したといわれる金蔵寺の境内仏堂として管理されており、現在の堂宇は文政3年(1820)に再建されたものと伝えられています。
飯能市史資料編による金蔵寺八耳堂の縁起
太子堂
境外仏堂(太子堂)、大字大河原582番地
本尊は聖徳太子の立像が安置され、御前立も聖徳太子立像である。この堂の由緒は口碑によると保元年間(1156-1158)の創立といわれ、現在の建物は文政3年(1820)に再建されたものという。(飯能市史資料編より)
埼玉県掲示による金蔵寺八耳堂の縁起
八耳堂は、真言宗の寺金軸山無量院金蔵寺の仏堂で、太子堂とも呼ばれている。
本尊は、聖徳太子(厩戸皇子)を祀り、保元年間(1156-1158)に建立されたといわれているが、現在の建物は文政3年(1802)に再建したもものである。
この奥手に軍太利神社があり、鎌倉時代の建仁2年(1202)飯能地方の武士・大河原四郎が創建したと伝えている。
大河原氏は、この地方の殿屋敷と呼ばれる場所に居住し、当社の南方に位置する龍涯山に砦を造って非常に備えると共に、金蔵寺とこの神社を篤く信仰したという。神社は、天和2年(1682)火災にあったが、のちに再建された。(埼玉県掲示より)
金蔵寺八耳堂所蔵の文化財
- 八耳堂宝篋印塔及び銅板経ほか塔内納入品(飯能市指定文化財)
八耳堂宝篋印塔及び銅板経ほか塔内納入品
平成7年9月宝篋印塔の解体修理のとき塔身部に銅板経、舎利種子墨書等が納入されていたのが発見された。
銅板経は、漆書きされ、こうした一括納入品は全国的にも類例が少なく、当時の信仰形態を知るうえで貴重である。
なお、本納入品類は飯能市郷土館に保管されています。
平成10年卯月 金蔵寺檀家(境内掲示より)
金蔵寺八耳堂の周辺図
参考資料
- 新編武蔵風土記稿
- 「飯能市史資料編Ⅳ社寺教会」