高麗川神社。日高市上鹿山の神社

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高麗川神社。旧称八劔社、日高市無形民俗文化財の祭囃子

高麗川神社の概要

高麗川神社は、日高市上鹿山にある神社です。高麗川神社の創建年代等は不詳ながら、かつては八劔社と称し、猿田村のものが日本武尊を讃えて祀ったとも、元亨2年(1322)に猿田村に住む猿田豊前守吉清という武士が勧請したとも伝えられ、どちらの伝承にしても猿田村の人が創建に関わっていたとされます。江戸期には上鹿山村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領しています。明治11年に上鹿山の八坂神社・稲荷神社を当社境内へ遷座、明治42年には近隣の15社を合祀して高麗川神社と改称しています。境内社八坂神社の例祭で奉納される祭囃子は、日高市無形民俗文化財に指定されています。

高麗川神社
高麗川神社の概要
社号 高麗川神社
祭神 日本武尊・橘姫命
相殿 -
境内社 -
祭日 祇園祭8月14.15日
住所 日高市上鹿山170
備考 上鹿山村・楡木村・猿田村・新堀村・栗坪村等の鎮守、旧村社




高麗川神社の由緒

高麗川神社の創建年代等は不詳ながら、かつては八劔社と称し、猿田村のものが日本武尊を讃えて祀ったとも、元亨2年(1322)に猿田村に住む猿田豊前守吉清という武士が勧請したとも伝えられ、どちらの伝承にしても猿田村の人が創建に関わっていたとされます。江戸期には上鹿山村の鎮守として祀られ、慶安2年(1649)には江戸幕府より社領3石の御朱印状を受領しています。明治11年に上鹿山の八坂神社・稲荷神社を当社境内へ遷座、明治42年には中鹿山の熊野神社、下鹿山の白幡神社、鹿山村社の熊野神社、原宿の稲荷神社など15社を合祀して高麗川神社と改称しています。

新編武蔵風土記稿による高麗川神社の由緒

(上鹿山村)
八劔社
日本武尊・橘姫命を祭ると云、慶安二年社領三石の御朱印を賜ふ、村の鎮守なり、例祭九月廿九日、社の傍に橘の樹あり、圍二丈許、神職田中賴母吉田家配下なり、
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稲荷社
西光寺持、下皆同じ、
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天王社(新編武蔵風土記稿より)

日高市教育委員会掲示による高麗川神社の由緒

高麗川神社
当初は八剣神社と称し上鹿山村社でしたが、明治11年に同じ上鹿山の八坂神社、稲荷神社が移されました。
明治42年には中鹿山村社の熊野神社、下鹿山村社の白幡神社、鹿山村社の熊野神社、原宿村社の稲荷神社など15社を合祀して高麗川神社と改めました。しかし、昭和15年ごろに旧村社を分祀したため、合祀前の状態に戻りました。
高麗川神社は、日本武尊、橘姫命の2柱、八坂神社には素戔嗚尊、稲荷神社には倉稲魂命を祀っています。
境内の中央に四方に広げてたたずむ「タブの木」は、根本近くから二股に分かれ、2本の木のように見えます。幹回りは北側で5.2m、南側で5.3mです。樹高はともに約22mをはかります。樹齢は約300年と言われ、御神木として大切にされています。
境内入口には大正5年頃に青梅農林学校より当時の上鹿山青年会が苗木を分けてもらい植樹した「ゆりの木」があります。北米原産の木蓮科の樹木で、成長が早く平成21年に伐採しました。現在の幹周りは3.4m、樹高は約10mをはかり、樹齢は90年になります。(日高市教育委員会掲示より)

「埼玉の神社」による高麗川神社の由緒

高麗川神社<日高町上鹿山一七一(上鹿山字宮ノ後)>
鎮座地上鹿山は、高麗川東岸の高麗丘陵と武蔵野台地の接するところにある。
元来、当社は八剣社と称し、上鹿山の鎮守であったが、明治四二年に、当時の高麗川村の行政区域であった上鹿山・中鹿山・下鹿山・鹿山・原宿の地内にあった村社・無格社合わせて一五社を当社に合祀し、村の総鎮守としたのを機に、村名をとって高麗川神社と社号を改めた。
当社の創建を伝える話は二つある。一つは、日本武尊が東征の折、この地に立ち寄ったことから、後世、隣接する猿田村のものが尊を讃えて祀った社であるとし、もう一つは、元亨二年に猿田村に住む猿田豊前守吉清という武士が勧請した社であるとしている。しかし、古くから猿田の数軒が当社の氏子となっていることから、当社は猿田の住人によって創建された社と見てまず間違いはないであろう。
祭神は日本武尊と橘姫命で、一間社流造りの本殿には、この二神を現したものと思われる男神像・女神像が納められている。(「埼玉の神社」より)


高麗川神社所蔵の文化財

  • 八坂神社の祭ばやし(日高市指定無形民俗文化財)

八坂神社の祭ばやし

毎年8月14.15日に行われるギオンマツリと呼ばれている八坂神社の例祭で、豊作祈願と安全祈願、悪疫退散の願いを込め、祭りばやしを奉納しています。
本社の囃子は、福原村中台(川越市)に伝わる王蔵院(世田谷区)の王蔵院流旧祭囃子を教わったのが始まりだと云われています。
お囃子は山車の上で演奏され、子どもたちが曳き綱を引いて上鹿山地区を一巡します。山車は江戸時代末から明治時代の半ばに北多摩郡砂川村(立川市)で使われていたもので、飯能市宮本町に渡り、大正時代になり上鹿山で使われるようになりました。
編成は笛1、締付け太鼓2、大太鼓1、鉦1の5人で演奏します。代表的な曲は屋台、昇殿、鎌倉、子守、ニンバなどです。獅子、三番叟、にんば、おかめ、ひょっとこ、外道、白狐などの踊りに合わせて次々と曲が変化しています。(日高市教育委員会掲示より)

高麗川神社の周辺図