藤倉天神社。川越市藤倉の神社

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藤倉天神社。名主の先祖藤倉大膳が南大塚菅原神社を勧請

藤倉天神社の概要

藤倉天神社は、川越市藤倉にある天神社です。藤倉天神社は、大塚村名主の先祖藤倉大膳が、藤倉村開発に際して、南大塚の菅原神社を勧請して創建したといいます。明治5年村社に列格、大正13年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。

藤倉天神社
藤倉天神社の概要
社号 天神社
祭神 菅原道真公
相殿 -
境内社 愛宕神社・稲荷神社
祭日 -
住所 川越市藤倉197
備考 -



藤倉天神社の由緒

藤倉天神社は、大塚村名主の先祖藤倉大膳が、藤倉村開発に際して、南大塚の菅原神社を勧請して創建したといいます。明治5年村社に列格、大正13年神饌幣帛料供進社に指定されたといいます。

新編武蔵風土記稿による藤倉天神社の由緒

(藤倉村)天神社
村の鎮守なり、別當梅林寺、天台宗にて、本寺はなし。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による藤倉天神社の由緒

天神社<川越市藤倉一九七(藤倉字宮背)>
当社は、川越の大塚村名主の先祖藤倉大膳が開拓したと『風土記稿』は伝えている。口碑では、その際に大塚村の菅原神社を勧請し、天神社としたという。祭神は菅原道真公である。
安永七年の代官伊塚伊兵衛役所宛の名主粂七書上げによる『藤倉村明細帳写』には「村内に鎮守天神社御座候、御除地壹反七畝歩」と記してあり、また『入間郡誌』には「菅原天神社 村の中央にあり勧請年代不明也 伝説によれば古は尊体の首に錦の巻物を懸けたれど今より百年前之を窃取せらると云ふ。巻物の中、事蹟を記せしや」とあり、昔の神社の様子や往時の御神体のことなどがうかがえる。
古来、当社を村の産土神としてきたことから、明治五年に村社となり、大正一三年一一月二四日に神饌幣帛料供進社に指定された。
『風土記稿』に「村の鎮守なり 別当梅林寺天台宗にて本寺なし」とある。神社に隣接して、現在改築して集会所となっているかつての草堂は、恐らく梅林寺であったと推測され、観音像は神社境内に堂を設けて移す前までは、その草堂に安置されており、観音様の祭日(八月一六日)に社務所の前に灯籠を立てるのは実にその名残である。末社は愛宕神社・稲荷神社で、そのほかに観音像を祀る堂がある。(「埼玉の神社」より)


藤倉天神社の周辺図