牛子稲荷神社。川越市牛子の神社

猫の足あとによる埼玉県寺社案内

牛子稲荷神社。牛に乗った行者の牛が当地で子を出産

牛子稲荷神社の概要

牛子稲荷神社は、川越市牛子にある稲荷神社です。牛子稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、牛に乗った行者の牛が当地で子を出産、行者は当地に住み着いた際に屋敷神として当社を創建したといいます。

牛子稲荷神社
牛子稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 宇迦之御魂神
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 川越市牛子111
備考 -



牛子稲荷神社の由緒

牛子稲荷神社の創建年代等は不詳ながら、牛に乗った行者の牛が当地で子を出産、行者は当地に住み着いた際に屋敷神として当社を創建したといいます。

新編武蔵風土記稿による牛子稲荷神社の由緒

(牛子村)稲荷社
村民の持。(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による牛子稲荷神社の由緒

稲荷神社<川越市牛子一一一(牛子字河原町)>
当地では地名の由来及び、神社の由緒として珍しい話を伝えている。昔帝釈様と呼ばれる、牛に乗った行者がこの地を訪れ、休憩をしている間に牛が産気づき、子が産まれた。これを吉兆として、行者はこの地に住み村を開いて村名を牛子とした。当社はその行者が祀った社と伝え、一説には行者の屋敷神であったともいう。牛の子が産まれた場所に行人塚という塚があった。今は崩されて共同墓地となっているが、当社は行人塚の方を向いて建っていると伝えている。行者は後に東町に移り住み、若林を名乗り、その子孫は名主を努め、明治まで続いたが絶えてしまった。行者の旧宅は、現在の小松屋商店の所で「行者の屋敷跡」を譲ってもらったと伝える。
『風土記稿』に元和のころに開かれた村かとあるが、古い話ではっきりとした年代は不明である。寛政七年乙卯二月初午日、江戸隠士天爵敬書との銘をもつ幟は一〇メートル余りもある立派なもので、昔の信仰の様がしのばれる。祭神には宇迦之御魂命を祀り、当地区の鎮守として明治になって村社となった。
行者の造った道に中道と迎え道がある。神社の前を通る中道は古来”神の道”とされ、葬列や盆のお迎えは通ってはならないとされ、遠回りしてでも迎え道を通る習わしである。ほかに河岸道とお稲荷様(狐)が出るお稲荷道がある。(「埼玉の神社」より)


牛子稲荷神社の周辺図