善仲寺。川越市古谷上にある曹洞宗寺院

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善仲寺。中筑後守資信が主君古尾谷信秀の為に創建

善仲寺の概要

曹洞宗寺院の善仲寺は、古谷山安養院と号します。善仲寺の創建年代等は不詳ながら、默室禅師が仙波村新宿に創建、その後中筑後守資信(法名安養院恰岩善仲居士、天正10年1582年没)が、主君古尾谷近江太郎信秀(古谷院安養無着居士)の菩提を弔うために当寺を自身の居宅側へ移し、澁井蓮光寺6世性翁慶守を迎えて(中興)開山したといいます。

善仲寺
善仲寺の概要
山号 古谷山
院号 安養院
寺号 善仲寺
住所 川越市古谷上4136
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦牟尼佛像
葬儀・墓地 -
備考 -



善仲寺の縁起

善仲寺の創建年代等は不詳ながら、默室禅師が仙波村新宿に創建、その後中筑後守資信(法名安養院恰岩善仲居士、天正10年1582年没)が、主君古尾谷近江太郎信秀(古谷院安養無着居士)の菩提を弔うために当寺を自身の居宅側へ移し、澁井蓮光寺6世性翁慶守を迎えて(中興)開山したといいます。

新編武蔵風土記稿による善仲寺の縁起

(古谷上村)善仲寺
古谷山と號す、曹洞宗、澁井村蓮光寺末、寺傳に天正の比當所の人中筑後守資信、法諡安養院恰岩善仲居士、僧性翁慶守を開山として創建すと、されば始は資信が法號の字をとりて、安養山善仲寺と號せしにや、元禄十三年第六世僧祖梁が鐘銘にはしか記せり、然るを山號を改しをいかにと云に、かの鐘銘に善仲寺者、古尾谷殿城跡資信主君、爲古尾谷殿開基當寺云々、又古過去帳に、當寺開基古谷院安養無着居士、應永六癸卯十二月廿八日古尾谷近江太郎信秀とあり、此等によれば資信主家の爲に營し寺院なる故、後にさかのぼりて信秀が院號をとりて、山號とせしならん。
抑古尾谷氏のことは子孫今世に聞えざれば、世系だに知るべからず、按に延徳元年上杉定正の文書に、古尾谷氏の名をのす、又久良岐郡洲崎村龍源寺、天文十年の鐘銘に、古尾谷中務少輔平重長法名道傳とあり、此二人も其祖先などにや。
又【小田原役帳】に伊東内尾形古尾周防とのす、是永禄二年の改なれば、周防は中筑後が仕へし古尾谷氏なるにや、筑後が歿せしは天正十年十二月六日なれば、大概時を同ふせしなるべし、客殿の前に楼門あり、二天の像を安ず、上頭闢の額あり、境内に破壊せる五輪の斷碑あり、應永・康正等の文字見えたり、古尾谷氏の墓なりといひつたへり。
推鐘一口。客殿の軒に掛たり、前の銘文を刻せしものなり。
白山社。秋葉社。牛頭天王社。
観音堂。この堂の並に衆寮あり。(新編武蔵風土記稿より)

「入間郡誌」による善仲寺の縁起

善仲寺
字堀之内にあり。文政六年正月十三日の火災にて古文書焼失し、由緒詳ならざるに至れりと雖、正治二年庚申歳今の仙波村新宿の地にありて、善中寺と稱し、開祖は妙心寺派默室禅師也(新宿村参照)。寺又庚申山と稱し、又安養山と云ひ、應永六年十一月廿八日歿す。其後天正元年家臣中筑後守資信古尾谷を領し、因て主家のために之を再興せり。即ち資信は澁井蓮光寺六世性翁慶守を中興開山とし、寺を館側に置く。資信の號安養院を以て古谷山安養院と改む。法系今に連綿たり。曹洞宗蓮光寺末。其墓地の邊當年の壘跡明に存す。西北隅に古尾谷無着の墓あり。又正北に中筑後守藤原資信の墓あり。然も墓石苔むし、今や文字を辨ずべからざる也。(「入間郡誌」より)


善仲寺の周辺図