妙養寺。日蓮上人が川越止宿した際に帰依した夫妻
妙養寺の概要
日蓮宗寺院の妙養寺は、蓮信山と号します。妙養寺は、かつて同学だった尊海僧正に再会しようと日蓮上人が川越を訪れた際、投宿した夫婦が帰依し夫は蓮信、婦は妙養と改め宅を一寺となしたといいます。その後荒廃したものの天文七年(1538)に僧日在が再興、夫婦の法名より蓮信山妙養寺と号したといいます。
山号 | 蓮信山 |
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院号 | - |
寺号 | 妙養寺 |
住所 | 川越市末広町1-4-5 |
宗派 | 日蓮宗 |
本尊 | - |
葬儀・墓地 | - |
備考 | - |
妙養寺の縁起
妙養寺は、かつて同学だった尊海僧正に再会しようと日蓮上人が川越を訪れた際、投宿した夫婦が帰依し夫は蓮信、婦は妙養と改め宅を一寺となしたといいます。その後荒廃したものの天文七年(1538)に僧日在が再興、夫婦の法名より蓮信山妙養寺と号したといいます。
新編武蔵風土記稿による妙養寺の縁起
(妙養寺門前町)妙養寺
蓮信山と號す、日蓮宗、甲斐國身延久遠寺末、相傳ふ昔日蓮諸國行脚の時、仙波尊海僧正と、曾て叡峯同學の好あるにより、其室を尋んとして此地に投宿せしとき、旅宿の夫婦の者深く歸依しけるにより、日蓮法名を授けて、夫をば蓮信といひ、婦をば妙養と云、後終に宅を捨て寺とし、勧業怠らず、終焉を遂げるとぞ、其後荒廃せしを遥の後天文七年僧日在再興して、法華の道場とし、彼夫婦の者の法名を以て山號寺號としけるとなり、其かみは松郷の内久保圭町の北側に有て其地に住める、惣右衛門と云は則開基蓮信妙養が子孫なりと云傳へり、其後當寺の此地へ移りし世代は詳ならず、或は云元亀元年のことなりと、されどたしかんる證蹟あらざれば、いかがはあらん、抑當寺の事は【高祖年譜考異】にも見えたり、云、川越有大士靈蹟、有精舎號蓮信山妙養寺、此其所乎、寺主曰、相傳是大士遊學之地、年月不可知也と、其舊蹟なること知るべし、中興開山日山天正三年十二月三日寂す、本尊三寳を安す。
鐘楼。昔の鐘は破壊して寛保元年に改め造りしかど、舊銘を彫る(銘文中略)
番神堂。妙見堂。七面堂。稲荷社。
和楽社、享保三年七月祀ると云、祭神詳ならず、今は社破壊して未だ再造せず。(新編武蔵風土記稿より)
妙養寺の周辺図