三九稲荷神社。三郷市栄の神社

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三九稲荷神社。三九村名主だった堀切家が屋敷神として勧請

三九稲荷神社の概要

三九稲荷神社は、三郷市栄にある神社です。三九稲荷神社は、三九村の名主であった堀切家が、屋敷神として京都伏見稲荷の分霊を勧請、延宝元年(1673)に戸ケ崎村から分村した三九村の鎮守社となったといいます。

三九稲荷神社
三九稲荷神社の概要
社号 稲荷神社
祭神 倉稲魂命
相殿 -
境内社 -
祭日 -
住所 三郷市栄3-86
備考 -



三九稲荷神社の由緒

三九稲荷神社は、三九村の名主であった堀切家が、屋敷神として京都伏見稲荷の分霊を勧請、延宝元年(1673)に戸ケ崎村から分村した三九村の鎮守社となったといいます。

新編武蔵風土記稿による三九稲荷神社の由緒

(三九村)稲荷社
村の鎮守なり、村持(新編武蔵風土記稿より)

「埼玉の神社」による三九稲荷神社の由緒

稲荷神社
鎮座地の三九は、中川の左岸に位置し、その地名は、戸ケ崎村の新田としてこの地を開いた三九郎なる者の名にちなんでいる。その後、延宝元年(一六七三)に一村となった。
口碑によると、元来、当社は氏子の堀切家が屋敷神として京都の伏見稲荷から、分霊を受けて来たことに始まるとされ、当時は「寿福稲荷大明神」と呼ばれていたという。その後、村の鎮守として祀られるようになり、『風土記稿』にも「稲荷社、村の鎮守なり、村持」と記されている。ちなみに堀切家は、江戸期に名主を務めた家柄である。
また、『明細帳』には、「元文二年(一七三七)五月三日神祇道管領伯神部壱岐宿禰再勧請」の記事が見えるが、これは神祇管領より、正一位の神位を受けたことを示すものと考えられる。
祭神は倉稲魂命である。流造りの本殿の建築年代は不明であるが、拝殿及び覆屋は、明治四年二月に建てられたものであることが、礎石の銘文から知られる。なお、拝殿に至る石段には、中央に「天の川」、左右に「上」の文字が刻まれている。これは、石段より上が神域であることを示したものと思われ、氏子が神社を神聖なものとしてとらえた一つの表れであろう。
祀職は、古くは戸ケ崎の味島家が務めていたが、大正五年からは地元の恩田家が幸重、芳之と二代にわたって奉仕している。(「埼玉の神社」より)


三九稲荷神社の周辺図


参考資料

  • 新編武蔵風土記稿
  • 「埼玉の神社」